(前編からのつづきです)
壇上伽藍の中に、赤い鳥居の「御社(みやしろ)」があります。
空海が819年に山麓の天野社(丹生都比売神社)から、
地主神として丹生明神(丹生都比売大神)と高野明神(狩場明神)を勧請して、
高野山の鎮守として祭ったのが始まりとされます。
空海は唐から帰国後、真言密教の根本道場をつくるために、
適地を求めて全国を巡っていました。
ある日、大和国で白黒2頭の犬をつれた狩人に出会いました。
狩人は、『紀州の山中に、あなたの求めているよい場所があります。
この犬に案内させましょう』と言って、そのまま姿が見えなくなりました。
実はその狩人(狩場明神)とは、丹生都比売大神の御子神である高野御子大神の化身だったのです。
空海は2頭の神犬に導かれ、紀の川を渡り険しい山中に入ると、
一人の女性(丹生都比売大神)に出会います。
「私はこの山の主です。あなたに協力いたしましょう」
と語られ、さらに山中深くに進んでいくと、そこに忽然と開けた大地がありました。
しかも、空海が唐の浜辺から投げた三鈷杵が松の枝にかかっていたのを見て、
この場所こそ自分が求めていた土地だと確信し、真言密教の根本道場に定めました。
高野山の始まりの前に、地主の神さまの導きがあったわけです。
もともと、高野山一帯は丹生明神の神領でした。
空海は丹生明神より、この神域を授けられたわけです。
紀伊國一之宮・丹生都比売神社は「紀伊山地の霊場と参詣道」として、
高野山とともに世界遺産に登録されています。
高野山の玄関口にあり、高野山に参る時はまず丹生都比売神社に参拝して、
それから高野山に登るというのが慣習だったということです。
今回は一之宮に参拝できなかったのが残念ですが、
本来は高野山参詣と紀伊國一之宮・丹生都比売神社はセットで参拝すると、より意義深いと思います。
ちなみに、丹生都比売神社では伝説にもとづいて、
現役の2頭のご神犬(黒と白の紀州犬)が活躍しています。
その後、壇上伽藍に隣接して建つ金剛峯寺(こんごうぶじ)に行きました。
真言宗総本山の金剛峯寺は全国3600の真言宗のお寺の総本山です。
ゆるやかな石段を登って、1680年再建の厳かな「正門」をくぐっていくと、
渋い檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の横長の本堂が鎮座しています。
金剛峯寺は歴代天皇や歴代座主のお位牌を祀り、現管主の住まいも兼ねていて、
賓客用の客間があったり、日常の宗務をつかさどる場というイメージです。
(高野山の重要行事のほとんどは、「金堂」のほうで行われるそうです)
屋根の上に「天水桶」という昔ながらの消火装置がついていて、
Tがその仕組みを解説してくれました。
高野山では火災への備えが各所に見られます。
受付から中に入って拝観しました。
いくつもの広間があり、著名な絵師による壮大な襖絵や障屏画、装飾、
美しい庭園、大規模な石庭など、見どころが多いです。
「柳の間」は、豊臣秀次(秀吉の姉の子)が自害した部屋とされます。
秀次は秀吉の養子になったのですが、後継者争いによって自害させられたとか…。
「蟠龍庭」は日本最大級の石庭で、「奥殿」の建物をぐるりと囲むように、雌雄の龍神に見立てて石が配置されています。
そして、Tのおかげで、通常は拝観できないエリアも見学させてもらえたのは特別な体験になりました。
その後、Tの自宅に移動して、郷土料理のおもてなしを受けました。
同級生の集まりですから、昔の思い出話で盛り上がりました。
四国の霊場もそうですが、高野山も参詣者や修行者をおもてなしする文化や伝統が根付いているように感じます。
昼食後、後半は「奥の院」参詣です。
このころになると天気があやしくなってきて、ぽつぽつと雨が降り出しました。
奥の院は弘法大師空海が入定されている聖地で、弘法大師信仰の中心です。
正式には「一の橋」から参拝しますが、御廟まで約2キロメートルと距離が長いので、
私たちは「中の橋」からスタートしました。
樹齢千年にもなる鬱蒼とした杉木立の中に、20万基を超える諸大名の墓石や、
さまざまな団体・会社・組織の記念碑、供養塔、慰霊碑などの数々が立ち並んでいます。
奥の院で一番大きなお墓である「崇源夫人五輪石塔」は、
2代将軍徳川秀忠夫人のお江(ごう)の方の供養塔です。
高さ6.6メートル、長い時間の経過を感じさせる苔むした石のおどろおどろしい雰囲気と迫力に圧倒されました。
御廟の前まで延々と続くさまざまなお墓の群れは異世界の観があり、まさにカオスな雰囲気です。
山田の話です。
「高野山は『日本の総菩提所』といわれ、
織田信長や武田家をはじめ歴史上の人物の墓もたくさんあり、諸霊の量がたいへん多いのです。
2007年3月の講座では、原則界の光の大龍神さまで高野山と比叡山を清めています。
高野山を清めた最後に神霊昇帰法をやったら、大量の先祖・諸霊が天と地に還りました」
ここでもTのはからいで、一般は立ち入りできない特別な場所の見学をさせてもらいました。
そうこうするうちに、奥の院の御廟前に着きました。
巡礼風の外国人の姿もけっこう多いです。
高野山全体が「幽の世界」ですが、壇上伽藍を「幽の顕」とすると、
奥の院は「幽の幽」とも言える、神秘的な雰囲気です。
奥の院で1日2回行われている生身供(しょうじんぐ)は空海に食事を届ける儀式で、
入定後から現在まで1200年もの間、絶えることなく続けられています。
空海が今もなおそこに生き、世界平和と人々の幸福を願い、瞑想を続けていると信じられています。
姿としては見えないけれど、弘法大師空海は確かにそこにいるという、強固な信仰が息づいているわけです。
(スゴイですね…(^^;)
弘法大師さまのご開運を祈り、日頃お世話になっている感謝の気持ちをお伝えしました。
御廟の手前に流れる清流の玉川のそばに、「水向地蔵」という15体の金銅仏が立っています。
(「地蔵」といっても、地蔵菩薩、不動明王、弥勒菩薩、聖観音などさまざまです)
水を注いで祈願するように桶やひしゃくも用意されています。
同行のメンバーは水をかけて祈願していましたが、
私は(水かけ不動の件もあるので…)ご遠慮しました(笑)。
奥の院の参拝を終えて、土産物屋でそれぞれお土産を買い、
高野山駅まで送ってもらいました。
Tが、「本当は霊宝館にも案内したかったけど時間がなかった」と言います。
霊宝館には国宝の仏像や宝物が多数展示されているそうです。
(行きたかった…! 残念)
霊宝館はまた次の機会に行きたいと思います。
駅まで行く途中、あたりには霧が立ち込め、標高1000メートルの天上の世界であることを実感します。
地上からは雲に隠れて見えないこの別世界で、
悟りを求めて人々が修行し、高野山の日常を支えるために人々が暮らしているのだなと思いました。
Tから全員にお土産まで持たされて、皆、感謝するばかりでした。
(竜宮城から帰る浦島太郎の心境でした…笑)
見送るTに手をふりながら、ふたたびケーブルカーは下界へと降りていきました。
その後、なんばで同行のメンバーたちと別れて、私はひとり帰京しました。
短いけれど充実した楽しい「おとなの修学旅行」となりました。
その夜、自宅に帰って、バッグをひっくり返して荷物を整理したのですが、
たしかに入れておいたはずの“三鈷の松の三つ葉”が、どうしても見つかりません。
(Tのお嫁さんが見つけて、私に持たせてくれたのです)
ああ、あの三鈷の松葉はどこへ行ったのでしょうね……(T_T)
追記)上野の東京国立博物館で「弘法大師生誕1250年記念特別展・空海と真言の名宝」展 (7月14日~9月6日) が開催されます!

