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おとなの修学旅行 IN 高野山(前編)

高野山の入口に立つ「大門」
高野山の入口に立つ「大門」

 

6月上旬に1泊2日で京都~高野山に行ってきました。

 

今回は私の同級生グループでの旅行で、山田は留守番です。

 

2年前に40数年ぶりに同窓会に参加して、旧交が復活し、

たまに関東のメンバーで集まるようになりました。

 

その時に、「みんなでどこか行きたいね~」という話から、

「高野山に行こう!」ということになりました。

 

高校の修学旅行では、経済的な理由や健康上の問題で、

修学旅行に行けなかった同級生も少なからずいました。

 

だから、コンセプトは【おとなの修学旅行】ということで、

「いいね!」となりました。

 

以来、会うたびに「高野山、行くぞ~!」と言い続けて、それが今回実現したわけです。

 

 

1日目のお昼前に京都駅で現地集合です。

 

あいにくの雨模様の中、タクシーでまず太秦広隆寺に行きました。

 

広隆寺は飛鳥時代に起源をもつ京都最古の寺であり、

聖徳太子に縁が深く、渡来人の秦河勝が建てた寺として知られます。

私は30年ぶりくらいの再訪です。

 

広隆寺では国宝「木造弥勒菩薩半跏思惟像」にお会いできました。

(これがとても楽しみでした)

 

山田の神業初期に、広隆寺でミロク菩薩さまとテレパシーで交流したことや、

対面に鎮座されている十一面千手千眼観世音菩薩さまとミロクさまが交流されたことなどを想いながら、拝観しました。

 

ベンチが置かれ、ミロクさまと静かに心の交流をする人々の姿がありました。

 

広隆寺の霊宝殿には2体の半跏思惟像のほか、国宝級の仏像が多数安置されています。

「不空羂索観音立像」「千手観音立像」、「阿弥陀如来坐像」「十二神将立像」など、

仏像のオールスターが勢ぞろいしているのは壮観です。

 

山田の話です。

「昔、ある霊能者から、

『山田先生の後ろに弥勒菩薩さまが守っていますね』

といわれたことがあります。

広隆寺の弥勒菩薩さまと霊的に交流した時、

そのお像と縁深い仏尊が私を守護していたことがわかりました。

 

なお、私の前世の1つは渡来人・秦氏であり、厩戸皇子(聖徳太子)とも縁がありました。

その前世の縁で、広隆寺の弥勒菩薩と関係する弥勒菩薩さまが守ってくださっているとのことでした。

 

神社や仏閣で縁があるとか、とてもなつかしい感じがする場合は、

前世でその神社や仏閣にお参りしたことがある場合が多いのです」

 

 

次に電車で移動し、仁和寺(にんなじ)に行きました。

仁和寺は真言宗御室派総本山で、888年創建の由緒ある大仏閣です。

 

仁和寺といえば、「仁和寺にある法師」(徒然草)という一節がすぐ浮かびます。

 

「昔、古文の授業で習ったよね」と話すと、

メンバーの2人は「いや知らない」という反応で、ちょっともめました…(^^;)

 

広大な境内の中にある歴史的建造物や御所庭園を鑑賞しました。

御所庭園は有料ですが、建物内部や美しい庭園は見ごたえがあり、石庭も素晴らしいです。

 

ここの庭園に満足したので、予定していた龍安寺はとりやめにして(笑)、

ちょうど門前に到着した京都駅行のバスに乗りこみました。

 

京都観光はさらっと終えて、大阪なんばに移動し、

その日はなんば駅近くのホテルに宿泊しました。

 

 

翌日、メインイベントの高野山参詣です。

天気が回復し、青空ものぞいてきました。

 

朝、駅のホームでメンバーのひとりから、

「Tくんが高野山の案内と、お昼もごちそうしてくれるそうだ」

という(サプライズの!)話がありました。

 

実は、Tというのは私のいとこで、同級生で、長年高野町在住なのです。

 

私も今回、Tに会えるかも、と楽しみにしていたのですが、

自宅にも招いてくれるとの話で、みんな「やったねー」と大喜びです。

 

高野山へはなんば駅から南海高野線の急行(または特急)で、

橋本駅を経由して極楽橋駅~高野山駅となります。

所要時間は約2時間です。

 

平日の朝、電車はがらがらに空いていました。

橋本駅で乗り換えると、山岳地帯に入り、だんだん急こう配になってきます。

 

右手に深い谷底と流れる川を見ながら、左右の急峻な山肌をトコトコと電車が登っていきます。

 

山の斜面ぎりぎりにへばりつくように敷かれた線路を、

まるでケーブルカーのような角度で登っていきます。

 

深山幽谷の奥深い聖地に分け入っていく感じです。

この急峻で高い、木々深い山々が紀伊山地なのですね。

 

昔の人々は、どうやってこんな奥深いところまで資材を運んだり、行き来したのでしょうか。

そして、高野山はさらにその奥の奥にあるのです。

 

極楽橋駅に着くと、ここから最後の傾斜をケーブルカーで登ります。

高低差は300メートルです。

 

極楽橋駅のすぐ近くにある朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る境界といわれています。

 

ケーブルカーに乗ると、座席に角度がついていて、平衡感覚が狂いそうになります。

ものすごい急こう配をケーブルカーは登っていきました。

 

このケーブルカーが、「俗世」から「異世界」へといざなう乗り物なのです。

5分ほどで終点、山上の「高野山駅」に到着です。

 

高野山駅では、いとこのT夫妻が迎えに来てくれていました。

数十年ぶりの再会をし、同級生たちとも再会を喜び合いました。

 

それから車に分乗して、まずは高野山霊場の入口である「大門」に行きました。

高野山駅から大門まで車で約10分です。

 

高野山の各ポイント間はそれなりの距離がありますので、車かバスの移動がオススメです。

 

高野山の入口にそびえ立つ朱塗りの「大門」は1705年再建で高さ25.8メートル、

左右を護る金剛力士像は東大寺に次ぎ日本で2番目の大きさだといいます。

 

大門はあの世とこの世の境目の“結界”とされ、昔はここから先は絶対の女人禁制でした。

 

Tの話では、「高野山で一番こわいのは火事だ」といいます。

開山以来1200年間、たびたび落雷などによる火災に見舞われ、

多くの建築物を焼失しており、そのたびに再建してきたという話です。

 

そういう面では、高野山は火災との戦いの歴史だったともいえます。

 

さて、高野山の地形は山上に細長い小盆地(海抜820メートル~)が広がっていて、

その周囲を標高1000メートル近くの山々が取り囲んでいます。

 

その地形は古くから「八葉蓮華」に例えられ、蓮華の中心が根本大塔になります。

 

両界曼荼羅の「胎蔵界曼荼羅」の中央に「中台八葉院」が描かれ、

中心が胎蔵界大日如来、そしてその周囲の八葉蓮弁上に4如来と4菩薩が配置されています。

 

高野山という聖地そのものが、大日如来を根本とする密教的な世界観に基づいて、

空海が描いた世界を具現化しているわけです。

 

大門から車で中心部に向かいました。

 

根本大塔のある「壇上伽藍」エリアが、奥の院とともに高野山の二大聖地になります。

大門に対して、少し小ぶりの「中門」(2015年再建)がその入り口になります。

 

中心には高野山のシンボルともいえる鮮やかな朱塗りの「根本大塔」が建っています。

 

根本大塔は日本初の多宝塔として空海により建てられ、887年に完成しました。

(根本大塔も火災でたびたび焼失しては再建され、現在の建物は1937年創建)

 

その内部は胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の「立体曼荼羅」になっています。

 

中央の胎蔵界大日如来像を中心に、

金色の仏像4体と16本の太い柱に描かれた色彩鮮やかな菩薩群、

周囲の壁画の真言八祖で構成されています。

 

平面に描かれている曼荼羅を3Dで立体的に表現した空海の発想は、

スゴイなあとしみじみ感じました。

 

山田の話です。

「私の前世の中には、真言密教の修行者だったことがあります。

今世で私は高野山に参詣し、ご開運神業を行いましたが、

前世の縁が今世につながっていることを実感できます。

 

また、私の講座でも真言宗の真言を多用しています。

まさに昔取った杵柄ならぬ“前世とった杵柄”ですね」

 

エリア内には重要文化財の金堂、御影堂、国宝の不動堂など多数ありますが、

残念ながら仏像の拝観はできないので、外から拝礼しました。

 

バラエティ番組でよく見る「六角経蔵」を回転させてみたり、

「三鈷の松」では三葉の落ち葉を探したりしました。

(松葉は二葉なので、三葉はめずらしい縁起物とされるようです)

 

Tのガイドで、見どころと地元ならではの解説付の案内になりました。

 

Tはお姑さんから長年、高野山のいろいろな知識やしきたりを仕込まれたらしくて、

案内はかなりのスペシャリストでした。

(時折、ジョークとホラも交えるのはご愛敬…(^^;)。

  

後編につづく

 

高野山のシンボル・根本大塔
高野山のシンボル・根本大塔