
(前編からの続きです)
その夜、明かりを消して眠りにつこうとしていた時、
山田が突然、「実は、今さあ…」と話しかけてきました。
(な、何事ですか?!)と、“ドキッ”としていると、
「今、熊野大社のイザナギノ大神さまとイザナミノ大神さまが来られて、
《黄泉津(よもつ)大神をご開運してくれてありがとう。
きれいな姿にしてくれてありがとう》と御礼を言われた」
というのです!
山田が横になって、今日行った熊野大社のことを考えていたら、
神さまの声が(テレパシーで)聞こえたそうです。
すると、イザナギノ大神さまとイザナミノ大神さまが来られたので、体を起こして向き合ったそうです。
イザナミノ大神さまは、
《今日は(熊野大社に)お参りしてくれて、ありがとう。
(以前の原則界業で)黄泉津大神をご開運してくれてありがとう。
黄泉津大神もきれいな姿に戻りました。
(自分と分離していた)黄泉津大神と合体したことで、世界の大地母神になることができました。
それから、ヒルコノ命をオオヒルコノ大神にご開運してもらい、ありがとう。
われも肩の荷が下りました》
というメッセージを伝えてきたそうです。
イザナミノ大神さまは神話の女神のような美しいお姿で、ご夫婦で手をとりあって来られたようです。
イザナミノ大神さまが御礼を伝えられると、二神は熊野大社に帰られました。
(時間にしたら1,2分だったとか)
私は眠ってはいませんでしたが、まったく気づかず…(-_-;)(-_-;)
わざわざ御礼に来てくださったので、
「明日、もう一度熊野大社にお参りしよう」ということになりました。
さて、「黄泉津(よもつ)大神」とはイザナミノ大神さまの別名であり、黄泉国(よみのくに)でのお名前です。
神話では、イザナミノ命は火の神であるカグツチノ命を産んだ時のヤケドが原因で亡くなって、黄泉国に行きます。
夫であるイザナギノ命は妻恋しさのあまり、連れ戻すために黄泉国に行きます。
イザナギノ命の懇願で、イザナミノ命が黄泉神に相談している時、
イザナギノ命がついのぞいてみると、イザナミノ命は変容した醜い姿になっていました。
恐ろしくなったイザナギノ命は黄泉国から命からがら逃げ帰ります。
イザナギノ命が黄泉国のケガレをミソギして生まれたのが三貴神であり……
という風に神話は展開していくわけです。
しかし、イザナミノ大神さまはその出来事がたいへんなトラウマになっていたのです。
神業においても、初期の頃からイザナミノ大神さまのご開運がなかなかできませんでした。
山田の話です。
「神話ではイザナミノ命が黄泉津大神になったとされますが、
神さまの話では、イザナミノ大神さまと冥界の黄泉津大神さまは分離しており、
黄泉津大神さまは魔界の存在たちから変容させられていたことがわかりました。
神社に祭られているのは、分離したイザナミノ大神さまだということです」
大きくご開運できたのが、2014年1月の神事です。
イザナミノ命が葬られたとされる比婆山(広島県と島根県境)の地底に幽閉されていた、
イザナミノ大神さまのご本体の復活とご開運の幽斎神事を行いました。
その際、イザナミノ大神さまの深いトラウマ(心の傷)が判明したので、
お詫びし、「宇宙の大いなる慈愛」で癒してさしあげました。
さらに、男性受講生が全員で、男性の代表として女性陣にお詫びするという展開もありました。
重ね重ねのお詫びと、ご開運、超次元の慈愛の光によって、
イザナミノ大神さまは癒され、ようやく復活されたという経緯があったのです。
(詳しくは『秘録』46号に書いています)。
山田の話です。
「その後、原則界業によって、黄泉津大神さまはご開運されました。
そして、イザナミノ大神さまと黄泉津大神さまは合体して、
“日本のガイア”ともいうべき偉大な女神になったのです」
翌朝、最初に近くにある「烏帽子山(えぼしやま)八幡宮」に参拝しました。
赤湯温泉の鎮守さまであり、温泉街を見下ろす高台に鎮座します。
赤湯温泉のシンボルである烏帽子山公園は、
「烏帽子山千本桜」という日本桜名所100選にも選ばれた桜の名所としてたいへん有名だそうです。
烏帽子山八幡宮のご祭神は「応神天皇、菅原道真、鳴雷神」です。
社殿は新しく、背後にある摂社末社の神気もスッキリして気持ちのよい神社でした。
そして、ふたたび熊野大社に向かいました。
赤湯から車で10分ほどの近さです。
同じ神社に2日連続で行くのは初めてです。
朝の10時前ですが、この日も七五三の参拝客や観光客で賑わいを見せていました。
拝殿には参拝を待つ行列ができています。
イザナギノ大神さまとイザナミノ大神さまにごあいさつし、
来ていただいた御礼を述べるとともに、(ついでに…)良縁結びのお願いもしました(笑)。
「ご開運しよう」ということで、山田が少し離れたところから、超次元世界の光でご開運しました。
さらに、「神仏のご開運に最適な原則界の光のマニ宝珠の大神さま」を入れてご開運しました。
本殿におられるイザナミノ大神さまから、
《ご開運してくれてありがとう》という波動が来たそうです。
なお、前日に二神が来られたのは、
山田の本体神であるミロク北辰の大神さまのご許可があったようです。
山田とコンタクトできるのは、ミロク北辰の大神さまのご許可があるご存在のみだからです。
社殿の背後に廻ると、本宮裏側に鳳凰の彫刻があります。
山田がうかがうと、この熊野大社にも鳳凰さまが降臨され、鳳凰珠をいただいているということです。
熊野大社の後は、『鶴の恩返し』の伝承がある鶴布山珍蔵寺(かくふざんちんぞうじ)にお参りし、米沢市方面に移動しました。
山田の話です。
「イザナミノ命の話や鶴の恩返しの話は、
『見ないでほしい』という妻の言葉を夫が破って見たために、夫婦の関係が壊れるというパターンです。
男性がタブーを破ることで、秩序が壊れるという元型ですね」
さて、米沢市、南陽市を含む山形県内陸南部は古くから置賜(おきたま)地方と呼ばれます。
オキタマの語源は「広く葦(あし)のはえている谷」という意味のアイヌ語「ウキタム」が由来とされています。
つまり、古代はアイヌの住む土地だったわけです。
(古代の蝦夷征伐で、東北の先住民だったアイヌ人たちは北海道の方に追いやられていきます)
車で米沢まで移動する途中は広大な田園地帯です。
よく手入れされた田園のあちこちに黄金の稲穂が豊かに実っていました。
明治時代に日本全国を訪れたイギリス人女性イザベラ・バードは、
著書『日本奥地紀行』の中で、置賜地方を「エデンの園」「東洋のアルカディア(理想郷)」と評したといいます。
おみやげに買った高畠ワインのラベルにも、「まほろばの里に佇むワイン醸造」とあります。
「まほろばとは周囲を山々に囲まれた実り豊かで美しく住みよい土地」であり、
「約1万年前から人々が恵まれた環境で生活していた」ということです。
豊かな穀倉地帯である一方で、冷害など天災で飢饉がたびたびあり、米沢藩は財政的に困窮していました。
破産寸前の米沢藩の立て直しを行ったのが、名君・上杉鷹山(ようざん)です。
天明の大飢饉(1782~1788)では東北地方は餓死者が十数万人出ましたが、
米沢藩は備蓄によって餓死者を1名も出さなかったのです。
山田は上杉鷹山を尊敬しているので、米沢に行ってみたかったと言います。
『為せば成る 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』(上杉鷹山作)
山田は困難な時にこの歌を詠い、自分を励ましてきたと言います。
米沢市の中心部に米沢城跡があり、本丸跡が上杉神社になっています。
米沢市の一番の観光スポットであり、多くの観光客や地元の参拝者で賑わっていました。
上杉神社のご祭神は上杉謙信公で、鷹山公は摂社の松岬神社に祭られています。
上杉神社に参拝し、上杉博物館で宝物展を見学してから、帰路につきました。
※イザナギ・イザナミノ大神、黄泉津大神に関してはCD33『国生みの秘儀と琵琶湖一帯のご開運』をお聴きください。
※オオヒルコノ大神のご開運に関しては『光の神業秘録』84号をお読みください。

