初七日と不動明王の浄化

 

葬儀編からのつづきです。

 

7月7日が義母の初七日でした。

初七日の「法要」は葬儀の時に合わせて行ったのですが、

正式な初七日に義母への供養として、自宅でお祈りすることにしました。

 

いつものように山田が格衣を着て、笏を持ち、

まずは仏壇の前でごあいさつします。

 

「わが母・山田〇〇さんが7月1日に帰幽いたしました。

ただいまより、その初七日の祀りをさせていただきます。

よろしくお願いいたします」

 

「おかげ様で、ありがとうございます。

宇宙の大いなる意志、大調和に基づく天命もちて、

とってもありがたいわが母・山田〇〇さんの一霊四魂の、

いやますますのご開運をお祈り申し上げます。

 

わが家のご本尊さまである阿弥陀如来さま、

そして二十五菩薩の仏尊たちの一霊四魂の、

いやますますのご開運をお祈り申し上げます。

 

わが母・山田〇〇さんが霊界に旅立ち、

そしていずれ浄土に昇ることができますように、

大いなるご守護とお導きのほどをお願い申し上げます」

 

「南無阿弥陀仏」(何回も) 

 

「わが母・山田〇〇さんの産土の守護曼荼羅のご存在たち、

どうぞ、わが母を高き霊界へお導きくださいますよう、

お願い申し上げます。オー(警蹕)」

 

これにより、今後は仏壇・位牌を通じて、義母への祈りが通じるようにしたということです。

 

次に、不動明王さまのお像の前に移動しました。

 

仏教の十三仏信仰では、故人が死後、初七日から三十三回忌までの間に

13の仏さまに導かれるとされます。

 

初七日の担当が不動明王さまなので、不動明王さまにお願いするわけです。

 

「不動明王さま、今日はわが母・山田〇〇さんの初七日にあたります。

十三仏信仰の初七日は不動明王さまの導きのときでございます。

 

どうぞ、わが母・山田〇〇さんがより高い霊界に行けますように、

後押しのほどよろしくお願いいたします」

 

山田が錫杖をもって、不動明王さまの真言を何回も称えました。

 

その後、不動明王さまにうかがうと、

《もう十分、大丈夫だ(笑)》

 

義母は生前の徳や阿弥陀如来さまや二十五菩薩さまの来迎もあったので、

高い霊界への移行にはなんの心配もいらないということです。

 

すると、山田が「ああ、そうか…」と、笑いながらうなずきました。

 

というのは、このお不動さまは昔(90年くらい前?)、義母に会ったことがあるのです。

 

当時、私の母方の祖父は、お不動さまの法力で

村の人の病気治しを頼まれて行うことがありました。(『祖父とお不動さま』)

 

義母が子どもの頃、何かの病気をしたのでしょうか、

母親(山田の祖母)に連れられて、同じ村に住む私の祖父に拝んでもらったことがあるのです。

 

祖父が拝んでいたのが、今、わが家でお祀りしている不動明王さまなのです。

 

お不動さまがしみじみ言われました。

《なつかしいね。今、こういう形で再び縁がつながるとはね…。

人間は縁を大切にして、よき縁を増やすことが大切だ》

 

よく考えると、なんとも不思議な縁です(笑)。

 

お不動さまは、

《自分がいろいろするまでもなく、大丈夫なんだけど、

そういう縁のよしみで、この者を導いてあげましょう。

自分の“炎”で、カルマを燃やしてあげましょう》

ということです。

 

初七日にまず不動明王さまが担当されるというのは、

人間のさまざまな煩悩、こだわり、ネガティブな念、確執などによるカルマを、

不動明王の炎で浄化する(燃やす)わけです。

 

不動明王の「火炎光背」には迦楼羅(かるら)という霊鳥がいます。

迦楼羅は鳳凰さまの配下です。

その迦楼羅が、人々にとっての“毒”である煩悩や欲望を焼き尽くしてくれるとされます。

(不動さまと迦楼羅炎の話)

 

義母は45歳のときに夫に先立たれ、

祖母とともに5人の子どもたちを育てあげました。

 

小さな商店を切り盛りしながら、早朝から夜遅くまで、家事、仕事、先祖供養、

合間には畑で野菜やお花を育てたり、驚くほどの働き者でした。

 

お店はサロンのように近所の人たちが入れ替わり出入りしては、世間話をして帰り、

そういう人たちの話し相手や、時にはさまざまなお世話もしていたようです。

 

お盆や正月には子や孫、きょうだい、親戚が集い、たいそう賑やかでした。

義母は親族からも頼りにされ、慕われる、大きな存在でした。

 

しっかり者の義母でしたが、長く生きていると、

人に言えないような想い、悩み、さまざまな確執もあったようです。

(それはどんな人でもありますが…)

 

それら諸々の煩悩を炎で燃やしてあげるのが、不動明王さまなのです。

 

最後にもう一度、不動明王さまの真言を称えて、初七日の祀りを終了しました。

 

義母は今、ふるさとに帰り、生前にお世話になった人たちや縁者にあいさつに行っているということです。

(四十九日までは、現世の人間へのあいさつや名残を惜しむ時期だといわれます)

 

さて、義母が亡くなった直後、「お義母さんはふるさとに帰れたかな?」と聞くと、

山田は「まだ眠っているようだ」と言いました。

 

よく臨死体験では、臨死直後に意識がクリアになり、

トンネルを通ったり、自分の肉体を上空から見ているという話もあるので、

実際はどうなんだろうと思いました。

 

山田の解説です。

「老衰の場合は、死んだ後はしばらく“眠っている”ことが多いのです。

(数時間眠っている人もいれば、数日の人もいます)

 

それは死後の世界に霊的ボディを慣れさせるためです。

あの世に慣れてくると、自然と目が覚めます。

その際は、少し若返った姿になります。

(霊界へ往くと、だんだん全盛期の姿に戻るようです)

 

臨死体験の場合は、まだ本当の寿命が来ていないため、

意識がはっきりしていることが多いのです。

寿命が来ていないと、たまに生き返ることがあるわけです」

 

また、火葬の後に「収骨」の儀式がありますが、

義母は自分の姿を上空から見ながら、

「ああ、やはり死んだのか」という感慨をもったようです。

 

ふつうの人もそのように、自分の葬式や火葬、一連の儀式を観るうちに、

自分の死をだんだんと自覚するのでしょう。

 

私が、「今日はここに来ているの?」と聞くと、意外にも「来ていない」といいます。

 

うちには強力な「光の結界」が張っているので、

まぶしくて、ちょっと来づらかったみたいです(笑)。

 

山田の話です。

「この初七日の後、不動明王さまが、母が私の家にも来られるように導いてくださいました。

これにより、私の母は祖母とともに、『前世・一族先祖のカルマ昇華講座』に参加できるようになりました。

 

母の帰幽は悲しかったのですが、99歳での大往生でしたし、

阿弥陀如来来迎が起き、不動明王さまのご加護もあったので、安堵しました」

 

8月1日夕方の南の空と月
8月1日夕方の南の空と月