
気候も良くなってきたので、4月なかばに1泊2日で名古屋に旅行してきました。
東海道新幹線で行く吉方位旅行は、数年前から、掛川→浜松→名古屋とだんだん西に進出しています(笑)。
名古屋は今まで乗り換えで立ち寄った程度で、私にとって初めての名古屋観光になります。
行ってみたいところはいろいろあるのですが、
今回は「八事山興正寺」「大須観音」「熱田神宮」の3つに絞りました。
八事山興正寺は、日頃から講座でたいへんお世話になっている
「大随求菩薩(マハープラティサラー)」さまがいらっしゃいます。
一度、きちんとお参りし、御礼を伝えたいと思っていました。
地図を見ると、同じ地下鉄路線上に大須観音がありました。
大須観音は名古屋では有名な仏閣で、最近の「観音さまのご開運と御礼」の件もあるので、
ここにも行くことにしました。
熱田神宮は言うまでもなく、三種の神器・草薙剣を祭る、日本では最重要な神社のひとつです。
生涯に一度は参拝したい神社であり、こちらは2日目にお参りに行くことにしました。
お昼前に名古屋に到着し、新幹線の出口から地下鉄東山線へ乗り換えます。
この時点で、名古屋駅のあまりの人の多さにビックリしました!
この混雑は東京並み?、いやそれよりももっとごった返しているような感じです。
地下鉄駅まで結構な距離を歩いて、やっと東山線のホームに着くと、
そこも人、人であふれ返っています。
(東京の朝の通勤ピーク並みです(◎_◎;)
なんと、一度で乗車できず、次の電車を待つほどでした…(-_-;)
土曜日なので、なにかイベントでもあったのか、ふだんからこんなに混んでいるのかわかりませんが…。
(そういえば、3月末に名古屋駅の改札が大混雑というニュースがありました)
ロッカーもいっぱいで荷物を預けられなかったので、仕方なくホテルまで10分ほど歩いて預けに行きました。
初夏の陽気の中、出だしからややグッタリです…(笑)
ホテルで荷物を預けてから、お昼を食べるために某定食チェーン店に入りました。
食事をしていると、となりのテーブルにいた男性(自称50代)が突然、
大きなよく通る声で私たちに話しかけてきました。
そこのお店のオススメの食べ方を、(頼んでいないのに…)延々とレクチャーします。
まるで「フーテンの寅さん」のような強烈なキャラクターの人で(テキ屋さん?)、
立て板に水、お祭りの口上を述べているような楽しい話し方です。
(やれやれ…)と思いながらお話を聞いて、「一期一会」の会話をしました。
「ではお元気で」と先に店を出て、「いきなり名古屋の洗礼を浴びたね」と苦笑しました。
さて、気を取り直して、伏見駅から地下鉄鶴舞線に乗って八事山に行きました。
興正寺は八事駅から徒歩5分ほどで着きます。
駅から向かう途中は門前町のような雰囲気で、信仰の町として栄えた名残が感じられます。
(八事は名古屋では高級住宅地として知られているそうです)
高野山真言宗の別格本山である八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)は、
名古屋市昭和区八事本町に鎮座します。
1686年、高野山で弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚が、
八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願し、草庵を結んだことに始まるとされます。
以来、尾張徳川家の祈願所として歴代藩主の崇敬を集め、繁栄しました。
豊かな木々に囲まれた広大な敷地の中に、
右手の小高い「東山」に霊園や奥の院があり、左手が「西山」になっています。
東山は女人禁制の場で、密教と戒律、学問と修行の場だということです。
(実際に『女人禁制』の石碑がありました)
山田の話です。
「女人禁制とは、女性を排斥するというよりも、
修行中の男性の僧侶たちが恋愛に走らないようにするためのものです。
逆に尼寺では男子禁制がありますね。
これも尼僧が修行に集中するための処置だといえます」
西山は阿弥陀信仰を中心として五重塔や本堂が建ち、一般民衆のための祈りの場というイメージです。
東と西で聖と俗、役割を分けているわけです。
中門をくぐっていくと、歴史を感じさせる美しい五重塔があります。
1808年建立で、高さが26メートル、国の重要文化財に指定されています。
塔そのものをご本尊と見立てて、
中央に大日如来、四方に阿閦如来(東)、宝生如来(南)、
阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)というふうに配置されています。
つまり、この五重塔は五智如来の立体曼荼羅になっているわけです。
若い僧侶がなにかの合図のほら貝を吹き、いかにも由緒ある霊場という風情です。
まず西山本堂にお参りします。
1751年の建立で、ご本尊は慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来さまです。
阿弥陀如来さまの左側に、中央に大隨求明王、向かって右に不動明王、左に愛染明王の3明王が祀られています。
私たちが認識している大随求菩薩さまのお写真と違うお像だったので、
「あれ?」と思ったのですが、これは“お前立”(まえだち)のようです。
(残念ながら、いつもの大随求菩薩さまは表に祀られていませんでした)
山田の話です。
「大随求明王さまのお前立は、京都の清水寺の大随求菩薩さまのお前立と雰囲気が似ていますね。
明王さまとして祀られていますが、おはたらきとしては“大随求仏母”という認識がいいようです」
興正寺の大随求明王さまは「健康長寿・安産・安楽往生」のご利益で、特に人気が高いそうです。
本堂に上がらせていただいて、大随求明王さまに日頃お世話になっている感謝のお祈りをしました。
山田がしばらくテレパシーで交流していました。
山田の話です。
「大随求仏母さまは、滅罪と、『求めるままに願いをかなえる』という願望実現の功徳があります。
この功徳が興正寺では『健康長寿・安産・安楽往生』という現世利益になっているようです。
大随求仏母グループは私が開催している講座に毎回参加されていて、
超天界・天界の御力をいただいているので、とてもパワーアップされています。
カルマ昇華の際には、祈り詞の前後に大随求仏母さまの真言を称えていますね。
大随求仏母さまは、
《私がもつ滅罪の力で、このような人類のカルマ昇華をやりたかったのです》
ということでした。
講座では受講者とそのご先祖さまたちだけでなく、
参加してくださっている神仏たちにとっても、大いなるご開運になっているわけです。
まさに“神仏と人間の助け合い運動”ですね」
次に、東山の奥の院をめざしました。
なんと! 上に登るエスカレーターもあります。
(これがないと、少々きつい登りになるかもしれません)
エスカレーターでらくらく登ってから、墓地の間のゆるやかな坂道をしばらく歩いていきます。
両側に石灯籠や奉納の石碑がズラリと立ち並び、
「まるで高野山のようだね」と話しました。(←高野山に行ったことはないが…(-_-)
小高い山頂の開けた広場に奥の院と鎮守社が並んで鎮座しています。
奥の院のご本尊は「胎蔵界大日如来」さまです。
「胎蔵界大日如来」と書かれた数十本ののぼり旗が周囲にはためいていました。
1697年、尾張徳川家2代藩主が母の供養のために鋳造させた、
高さ3,3メートルの大きな大日如来座像(総本尊)が祀られています。
たいへん柔和なお顔をされた大日如来さまで、両手で法界定印(ほっかいじょういん)を結ばれています。
その前には不動明王さまや十三仏の小さな仏像が配置されています。
右となりに鎮座する石清水八幡宮が、八事山の鎮守社(地主神)になります。
山田の話です。
「金剛界大日如来さまは智拳印を組んでいます。
金剛界曼荼羅は“智慧”を表し、胎蔵界曼荼羅は“慈悲”を表すとされます。
(奥の院の大日如来さまも慈悲深いお顔をされていました)
私の講座では陰陽論の観点から、“光の太陽界”曼荼羅と“光の太陰界”曼荼羅とお呼びしています」
西山には参拝者が多いのですが、東山の奥の院まで登って来る参拝者はほとんどいませんでした。
境内にはいくつかのスポットがあり、「能満堂」に虚空蔵菩薩さま、
「観音堂」には正(しょう)観世音菩薩さまをはじめ三十三観音、
「不動護摩堂」には不動明王さま、ほかいろいろな仏尊がおられます。
八事山は緑多く自然豊かで、境内はよく手入れされているので、
全体としてはスッキリした、気持ちのよい仏閣でした。
次に、大須観音に行きました。(その2に続く)

