1月に金曜ロードショーでスタジオジブリの『かぐや姫の物語』(2013年、高畑勲監督)が放送されました。
皆さんの中にもご覧になった方がいらっしゃると思います。
私は今回初めて鑑賞しました。
ジブリの作品の中では少し地味な印象があり、
あまり期待しないで観たのですが、
思った以上におもしろく、考えさせられたり心に残る映画でした。
子ども向けのお話のようで、実はおとなの映画だと思います。
それで、今回は『かぐや姫の物語』について感想を書いてみたいと思います。
(あくまでも個人的解釈です)
※ネタバレあり。まだ観ていない人はご容赦ください。
日本最古の物語『竹取物語』(作者不詳)のストーリーにほぼ忠実に、
高畑勲監督が新たな表現でかぐや姫の“心”を描いた映画ということです。
一番印象的なのはその映像の美しさです。
水彩画のような、手書きのような淡いタッチで、
やわらかく、あふれる光で自然の美しさや人物が描かれています。
四季のうつろい、山々や森、花や木々、草…
映像が臨場感をもってイキイキと躍動しているのです。
みな輝いて美しく、「霊界ってこんな感じかな?」と思います(笑)。
日本人ならだれでも知っている「かぐや姫」のお話ですが、
実は単なるおとぎ話ではなく、いろいろと謎が多いともいわれます。
たとえば、「なぜ、かぐや姫は地上に来たのか?」ということです。
原作でもくわしくは語られていませんが、さりげなく書かれています。
それは、かぐや姫は月でなんらかの“罪”をおかして、
その罰として、けがれた人間界に送られたらしいのです。
それも決して軽くはない罪のようなのです。
その罪がどういうものだったのかは不明ですが、
清らかな天上世界からすると、人間の世界は“流刑地”のようなものと考えられたわけです。
山田が神さまからうかがった話でも、高度な宇宙人類から見ると、
地球は銀河系の中でも一種の流刑地のような星だという話がありました。
『竹取物語』が生まれた平安時代は、上流階級をのぞくと人々の暮らしは貧しく、
医療も発達していないので、疫病、栄養不良などにより寿命は短かったようです。
自然災害も多く、不安な世相で末法思想や浄土思想が広がりました。
人々が生きるのに苦難の多い時代だったといえましょう。
天上世界は争いも苦もなく、平和でおだやかな世界だといいます。
そして、不老不死の世界と考えられたようです。
地球は争いあり、ウソや裏切りもあり、カルマの渦巻く世界です。
心が清らかだけでは生きていけない厳しい世界です。
(ETソウルが地球に来て、これで挫折するワケです…(-_-;)
肉体の寿命は短く、生老病死の四苦、八苦から逃れることができません。
しかし、地球は多様な生命あふれる美しい星です。
美しい大自然と、海山の豊かな恵みにあふれた地球は、
宇宙の星々の中でも数少なく、宝石のような貴重な星だといいます。
月の天人たちも、月から観える青く輝く地球にあこがれを抱いたことでしょう。
山田の話です。
「かぐや姫の物語は、一種のETソウル(スターピープル)の話ですね。
ETソウルたちは人類の援助者として飛来するのですが、
地球の美しさに魅了されると同時に、地球のカルマの渦に巻き込まれてしまいます。
そして、自分の星に帰りたいと思うのですが、
天命をはたすことで、ふるさとの星に帰ることができるのです」
かぐや姫が月でおかした罪は不明ですが、
実は地上でも結構罪深いことをしています。
この世ならざる美貌で、たくさんの男たちを迷わせるのです。
かぐや姫に求婚した5人の貴族は、
それぞれ無理難題をふっかけられて、身を滅ぼすことになります。
山田の話です。
「かぐや姫が貴族たちに持ってくるように言った
『蓬莱の玉の枝、龍の首の珠、火鼠の裘(かわごろも)』などは、
道教の神仙道の影響があります。
ある意味、神仙道の不老不死に関係する道具といえます。
日本は仏教の伝来とともに道教も伝来し、日本人の精神文化に多大な影響を与えました。
“神仙”の中には、かぐや姫のように罪をおかして、
現世に人間として生まれてくる場合があるといわれています。
それを滴仙(てきせん)といいます。
このように、竹取物語には神仙思想の要素が込められています」
最後は帝(みかど)まで心奪われるのですが、
帝の権力をもってしても、かぐや姫をわがものにすることはできませんでした。
(それにしても、帝の描き方はいかがなものか…アゴがやたら長いのは龍顔ってこと?)
幼なじみの捨丸兄ちゃんも、妻子を忘れてかぐや姫と逃げようとしたり…。
(おい、捨丸兄ちゃん、ダメでしょ! とツッコミたくなります…笑)
もちろん、かぐや姫が悪いというよりも、
男たちが自分の欲望や見栄によって自滅したわけですが…。
そういう欲望やウソの多い人間界に耐えられなくなって、
かぐや姫は弱っていき、月に助けを求めたのです。
さて、かぐや姫がいよいよ月に帰る時に、月から雲に乗った一団がお迎えに来ます。
飛天が舞い、楽器を奏でる大勢の天女たちとお釈迦さまのような「月の王」が、
かぐや姫を迎えに来ます。
この最上級のお迎えからすると、かぐや姫は天上では相当高貴な人だったのでしょう。
かぐや姫とおじいさん、おばあさんとの最後のお別れは、
あまりに悲しくて切なくて、涙なしには観れません。
かぐや姫は別れをあんなに悲しんでいたのに、
天女から天の羽衣をかけられた途端、人間の感情は消え去り、
お迎えとともにさっさと月に帰ってしまいます(笑)。
(無情すぎます…)
このお迎えのシーンは、かぐや姫が死んであの世(月)に行ったことをあらわすのかもしれません。
お迎えの一団は一種の「阿弥陀来迎」のように見えます。
かぐや姫の物語はフィクションですが、
登場人物のモデルとされる歴史上の人物がいたり、
舞台とされる実際の場所、土地などいくつかの説があり、
ストーリーにもバリエーションがあります。
富士山周辺には竹取物語にリンクする地名や伝承もあります。
静岡市の三保の松原は天女伝説があり、天女は富士山から舞い降りてきました。
月の世界と富士山はリンクしており、富士山は常世の国(黄泉の国)という信仰もあります。
月の主宰神は月読尊ですが、月読は月黄泉つきよみであり、黄泉国(霊界)と関係しています。
また、富士山には不老不死の薬があるという伝承もあります。
不老不死の薬をもつ西王母は富士山のコノハナサクヤヒメノ命とリンクし、
コノハナサクヤヒメノ命がかぐや姫のモデルという説もあります。
実は“原作”では、帝は最後にかぐや姫から形見として不老不死の薬をもらいます。
しかし、かぐや姫がいない世界など何の意味もないと嘆いて、
富士山の頂上で燃やしてしまったということです。
山田の話です。
「富士山は不二山、不死山ともいわれ、
古くから神々とともに神仙が住む霊山とされました。
富士山の神・コノハナサクヤヒメノ命は中国では西王母にあたり、
実はベガ星(七夕の織女星)の天女神族です。
天女神族はみな天の羽衣をまとっており、
かぐや姫も天女神族の末裔と考えていいでしょう。
かぐや姫は羽衣を着ることで、天女に戻ったわけです」
七夕では笹に願い事の短冊をつけます。
笹は竹の一種ですから、竹取物語との関連性を感じさせます。
神さまのお話では、
《月はベガ星からの中継地になっており、世界の天女伝説にはベガ星の出身者が多いのです。
それが世界中の天女伝説のベースになっているのです》
とあります。(『秘録』47号)
日本最古の物語が天女伝説であり、全国各地にもさまざまな天女伝説があるのは、
私たちが思っている以上に天女神族が多数飛来していたということです。
前世リーディングや新特別セッションでも、
天女神族のタマシイだったという女性がそれなりにいます。
(地球に転生してから、いつのまにか羽衣をなくしたパターンが多いのです)
月天子(月の王)は多くの天女をはべらすとされます。
天女神族のご開運は月のご開運にも直結していました。
(※月のご開運神業に関しては、『秘録』51号をお読みください)
かぐや姫の伝承はいろいろな要素を含み、奥深くて、心ひかれるものがあります。

