春爛漫の相模国旅日記・大山編

 

4月上旬、神奈川へ1泊2日で出かけてきました。

コロナ第7波のきざしで遠方への移動が不安なので、近場で、車で移動でき、かつ吉方にしました。

 

久しぶりに大山に行ってみたいと思いました。

大山阿夫利神社には今まで2回行った記憶はあるのですが、もう10数年以上前なので記憶が薄れています。

 

神奈川に入ると、大山の雄姿が見えてきます。

ところが、車で進んでいっても大山はなかなか近くになりません。

大山までとても遠く感じました。それだけ、大きくて奥行きが深いのでしょう。

 

やっと麓に入り、車は坂道を登っていきました。

ずっと進んでいくと、ケーブルカー駅入り口の行き止まりまで来ました。

そこから先に一般車は進めません。

近くの駐車場は「満」の表示で、空きがあるのは600m下った駐車場だと出ています。

 

困ったなと思っていたら、上手のほうから、

おばあさんが、(おいでおいで~)と手招きをしています。

 

「もしやぼったくりか?」と一抹の不安もありましたが、

おいでおいでに招かれて、フラフラとそちらにいざなわれてきました。

1000円の駐車料ですみ、よかったです(笑)。

 

車を止めると、そこから駅まで15分ほど石段を上るという話でした。

「エエッ、そんなに遠かったっけ?」と思いましたが、ここまで来たら行くしかありません。

 

その先の行程がきつかったのです(-_-;)。

両側に土産物屋や食事処、旅館が並ぶ石段の「こま参道」をひたすら上っていきます。

 

「昔来た時は、こんなにしんどくなかったよね(若いって、すばらしい…)」

とぼやきながら、時々休み休み登りました。(老化&運動不足) (*_*;

 

バリアフリーはないので、足の悪い人の参拝は難しいと思います。

(※軽い山登りなので、運動靴、中高年は杖があればラクです)

 

やっとの思いで、大山ケーブル駅に着きました。

駅入り口に「根之元神社」があります(後述)。

ハイキングに絶好の日よりで、参拝客や登山客で賑わっていました。

 

終点の阿夫利神社駅に着くと、平たんな道になり、最後に急な長い石段を登ります。

この参道は厄除けのスポットでお祓いになるらしいのですが、

疲れているのでそんな余裕はなかったです(笑)。

 

こうして、久しぶりに大山阿夫利神社(下社)に参拝しました。

大山の標高は1252mで、下社は標高696mの中腹に鎮座します。

 

創建は崇神天皇の頃と伝えられ、大山祗(おおやまづみの)大神、大雷(おおいかずちの)神、高龗(たかおかみの)神を祭ります。

 

大山祗大神さまは皆さんの中にも、産土の大神さまや鎮守の大神さまとして縁深い方も多いことでしょう。

山の神であり、海の神であり、産業、金運、開運、縁結び…あらゆるご神徳があります。

富士山の主宰神でもあり、コノハナサクヤヒメノ大神さまやイワナガヒメノ大神さまの父神でもあります。

境内に両女神を祭る「浅間社」があります。

 

大雷神さまは雷の神であり、火災・盗難除けのご神徳があるとされます。

高龗神さまは水をつかさどる龍神さまです。

大山は相模湾の湿った空気がぶつかって雨が多く、山中には滝も多く、水の豊かな山なのです。

 

山頂の本社には鳥之石楠船神(とりのいわくすぶねのかみ)を祭る鳥之石楠船社もあります。

鳥之石楠船神は別名を天鳥船(あめのとりふね)といい、イザナギ・イザナミの子神です。

古事記では武御雷神とともに、事代主神に国譲りを迫ったという話です。

天鳥船(UFO)で、神々が降臨したのかもしれません。

 

「関東総鎮護」と称される大山阿夫利神社は江戸時代末までは「石尊大権現」と呼ばれ、

山頂に巨大な磐座を御神体とする本社(上社)があります。

大山は別名を「阿夫利(あふり)山」「雨降(あふ)り山」ともいい、

雨乞いの神ともされ、農民の信仰を集めました。

 

江戸時代の中ごろから、大山御師の布教活動により「大山講」が組織されました。

庶民に「大山参り」が広まり、宿坊が立ち並び、麓は門前町として繁栄します。

石段の参道の途中にも、あちこちに「〇〇御師の宿」という宿坊の看板がありました。

 

全盛期には年間数十万人の参詣者がいたとされます。

富士山詣でも盛んで、「富士山だけでは片参り」ということで大山とセットで登る人が多かったようです。

 

拝殿右手の入り口を入ると、地下からご神水がわいており、龍神(高龗神)の像があります。

そこでお水取りができます。

胎内くぐりのような地下道になっていて、古い石像や資料などを展示しています。

 

大山は縄文時代からの自然崇拝の山であり、山頂や麓から縄文土器や遺跡、祭祀跡が発掘されています。

大山は自然崇拝、巨石信仰、水信仰、修験道、天狗信仰などが重層的にあります。

 

境内左手奥に山頂への登山口があり、鳥居があります。

見上げるとクラクラするような急こう配の石段がはるか上まで続いています(写真)。

登る勇気が失せます…(-_-;)

体力に自信のある方は、上社までの登拝にチャレンジしてみてください。

(所要時間90分)

 

天狗信仰も盛んで、大雷神が大天狗、高龗神が小天狗とされます。

さらに、伯耆大山(鳥取県)の天狗であった大山伯耆坊の伝説もあります。

相模大山の相模坊(天狗)が崇徳上皇の霊を慰めるために四国の白峯に行ってしまったために、

伯耆坊が相模大山に移ったという話です。

 

崇徳上皇は怨霊として有名ですが、相模からも大天狗が慰霊に行っていたとは知りませんでした(@_@)。 

それで、伯耆大山(ほうきだいせん)から大天狗が相模の大山に移ってきたことも、今回初めて知りました。

(どちらも、よみは違いますが大山ですね)

 

下社の近くに伯耆坊の石碑があり、大山寺の側には伯耆坊を祀った祠があるとのことです。

ちなみに「日本八大天狗」というのがあって、大山の伯耆坊と四国に行った相模坊もランクされています。

 

下社に行く中間に不動明王さまを祀る大山寺(おおやまでら)もありますが、

今回は時間の関係で行きませんでした。

 

ケーブルカーで降りてきて、駅入り口の「根之元神社」に参拝しました。

ご祭神は「イワサクノ神、ネサクノ神、イワツツオノ神」です。

 

山田の話です。

「磐裂神・根裂神、磐筒男神は星の神々(宇宙からの飛来神)です。

大山の山頂に鳥之石楠船社があるように、

大山のようなピラミッド型の山は宇宙の神々が降臨している聖地になっています」

 

※CD『日本民族のカルマ昇華』に磐裂神・根裂神、磐筒男神が出てきますので、お聴きください。

 

行きの登りもきつかったのですが、下りでは太ももがブルブルしてきます。

翌日から2日間はふくらはぎの筋肉痛でした(T_T)。

 

次に大山の麓にある相模国三之宮・比々多(ひびた)神社に参拝しました。

相模国は一の宮から四の宮まであります(今回は2社に参拝)。

 

桜は満開を過ぎましたが、比々多神社は桜の名所のようで、まだあちこちに咲いていました。

境内はすっきりと手入れされ、心地よいパワーを感じる神社です。

 

主祭神は豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)はまたの名を豊国主尊で、

国土創造の神であり、大地・開発・発明・創造のご神徳があります。

 

天明玉命(アメノアカルタマノミコト)は玉造りの神で、不思議な霊力発揮・子宝のご神徳があります。

山田の話では「天明玉命さまは天の岩戸開きで活躍された光のミロクさま」ということです。

 

稚日女尊(ワカヒルメノミコト)は機織り、衣料の神さまです。

また、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は叡智と武勇の神、出世・開運・除災・交通のご神徳とされます。

 

※ご祭神に日本武尊はいらっしゃいますが、大山の伝承には出てきません。

相模国には来られていますが、三浦半島から房総へ渡っています。

秩父地方の神社はヤマトタケル伝承とお犬さま伝承がセットになるパターンが多かったのですが、

大山は海に面し、里に近いためか、オオカミ伝承も出てきません。

 

相殿には大酒解神(オオサカトケノカミ、大山祇神)、小酒解神(コサカトケノカミ、木花咲耶姫)を祭ります。

酒造りの神さまで、酒類業・山火鎮護、縁結び・子授安全のご神徳があります。

比々多神社は人生、生活全般のあらゆるご神徳をかねそなえた神々を祭るわけです。

 

「社伝記」によると、

「御鎮座は神武天皇6年(紀元前655年)、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選び、

神を祀る社を建立し、相模国の霊峰大山を神体山として豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことに始まる」

といわれています。

  

拝殿で参拝してから、神社裏手にある下谷戸縄文遺跡のストーンサークルを見学しました。

比々多神社の歴史は古く、1万年以上の歴史とされます。

大山とともにパワースポットとして注目されています。

余裕があれば、近くにある元宮にも行きたいところです。

  

比々多神社参拝後、その日は箱根湯本に宿泊しました。

 

大山阿夫利神社上社への登山道の入り口(下社境内)
大山阿夫利神社上社への登山道の入り口(下社境内)