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さいたま・つきのみや参拝記

調(つき)神社の古い時代の狛兎
調(つき)神社の古い時代の狛兎

 

 

桜の開花が宣言された3連休、陽気に誘われ出かけることにしました。

 

久しぶりに都内の明治神宮に、とも思ったのですが、

3連休の教訓を思い出して(笑)、今回は近場に出かけました。

 

山田もまだ行ったことがないということで、

さいたま市浦和区に鎮座する「調(つき)神社」に参拝することにしました。

 

調神社(つきのみや)といえば、狛犬がうさぎだということは知っていましたが、

もっと有名なのは、“鳥居がない神社”ということだそうです。

 

「つきのみや」で、ウサギが神使ですから、

当然、月の神さまをお祭りしている神社かなと思いました。

 

ところが、ご祭神を調べると、

「天照大神(あまてらすおおみかみ)、

豊宇気姫命(とようけびめのみこと)、

素戔嗚尊(すさのおのみこと)」

の3柱で、月読命はおられません。

 

三貴神のうち、天照大神と素戔嗚尊の2柱はおられるのに、

「つきのみや」に月読命だけおられないのは違和感がありますね。

 

「これはきっと、ツキヨミノ大神さまが埋没して隠れ神になっておられるのでは?」

 

ということで、参拝してからお尋ねすることにしました。

 

自宅から車でさいたま市方面に荒川にかかる橋を越えていきます。

荒川の土手は一面菜の花におおわれ、広大な河川敷では春の陽気の中、

おおぜいの人々が行楽やスポーツを楽しんでいました。

 

今、イランとアメリカ・イスラエルの戦争でたいへんな状況ですので、

「日本はこんなに平和なのに…早く戦争が終わってほしい」

と複雑な気持ちになりました。

 

調神社は旧浦和市の中心部から近い場所に鎮座します。

境内は初宮参りの客や一般参拝客でそれなりに賑わっていました。

 

まず手水舎に行くと、うさぎの石像の口から水が流れていて、

かわいらしさに思わず笑顔になります。

 

社殿は1858年造営の重厚で渋い造りで、複雑な彫刻の装飾がほどこされています。

調神社のあちこちにうさぎの彫刻や像が潜んでいますので、

それらを見つけながら散策するのも楽しいでしょう。

 

調神社は第10代崇神天皇の勅創により創建したと伝えられ、

延喜式神名帳にも記載されている由緒ある古社です。

 

伊勢神宮の斎主である倭姫命が当地に来て、

伊勢神宮に献上する貢物(みつぎもの、調物)を納める蔵を建て、

ここに関東一円から初穂米などの貢物の集積地となったとされます。

 

調神社に鳥居がないのは、その調物の運搬の邪魔にならないよう取り払ったからという説です。

 

そして、江戸時代に「月待信仰」が盛んになったことで、

「ツキ」という読みから、月の神信仰と結びついたとされます。

 

※「月待信仰」とは江戸時代から昭和にかけて民間で盛んになった行事で、

特定の月齢(十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜など)に

仲間が集まり、飲食をともにしながら月が出るのを待ち、

月を拝み、念仏をとなえたり、悪疫退散を願いました。

現代でも残っている「中秋の名月」(十五夜)の行事などはその名残です。

 

月の化身とされる勢至菩薩と(神道における別名の)月読尊が崇拝の対象になりました。

江戸時代には月読神を祭る神社として参拝者を集めていたようです。

 

すると、調神社における月の神信仰は、中世以降に発生したものか? という疑問が出ます。

 

 

さて、拝殿で参拝してから、少し離れたところで山田が神さまにお伺いしました。

その結果、次のことがわかりました。

 

「やはり、ツキヨミノ大神さまは“隠れ主神”としておられます。

スサノオノ尊は武蔵国一の宮・氷川神社のほうに主におられます。

スサノオノ尊とツキヨミノ大神は以前、仲が良くなかったからです」

 

『秘録』31号で鳥海山・出羽神業の話があるのですが、

そこで初期の特別セッションでのエピソードを記しています。

 

山田がタケハヤスサノオノ尊のワケミタマとして、

特別セッションのご開運神事を行っていた初期の話です。

 

ある神さまをご開運したら、《ツクヨミノ大神である》と名乗られました。

 

ところが、こちらが一生懸命汗水流してご開運したにもかかわらず、

何のお礼も、感謝の言葉もなく、

《なんだ、スサノオノ尊か…》

という感じでさっさと帰ってしまったという話です(笑)。

 

「なぜ、ツクヨミノ大神さまはスサノオノ尊に対していい感情を持っていないのだろうか?」

というのが当時の謎だったのです。

 

その後にわかったことは、

スサノオノ尊は北斗七星の出身で、ツクヨミノ大神は南斗六星の出身であり、

実は北斗と南斗六星の対立構造が背景にあったのです。

 

数年後、北斗七星と南斗六星の神々の和合が成って、スサノオノ尊とツクヨミノ大神は和解されました。

 

その後、山田が原則界の光のマニ宝珠の大神さまで、調神社の神仏・ご存在をご開運しました。

 

境内に隣接して緑地帯の公園となっていて、ひょうたん型の「神池」があります。

中央にかわいらしいうさぎの噴水があります。

(神池の水が濁っていて、あまりきれいでなかったのが残念です)

 

 

ミロク北辰の大神さまのメッセージです。

《一の宮・氷川神社と調神社は一体としてとらえることです。

スサノオノ尊は主に氷川神社におり、時々、調神社にも帰ります。

 

月読大神とスサノオノ尊の和合ができましたので、以前のような反発はなくなりました。

氷川神社と調神社で三貴神(天照大神、月読大神、スサノオノ尊)がそろいます》

 

一の宮・氷川神社はさいたま市大宮区高鼻町に鎮座し、

調神社は浦和区岸町に鎮座しており、距離的にも近いのです。

 

 

ミロク北辰の大神さまに山田を通して、疑問に思ったことをご質問しました。

 

Q. 調神社にはうさぎの神使がおられるのですか? 

うさぎの神使はどんなお仕事をするのでしょうか?

 

《月読大神の神使はうさぎになります。

神犬と同様な働きをしています》

 

神犬さんと同様ということですので、おもに“お使い”が多いのでしょう。

神さまのお使い、(今このようになっているからとか、こういうことをやるからとか)

伝令、連絡係のような感じです。

 

 

Q. ツキヨミノ大神さまはいつから調神社におられるのですか?

(創建時からか、中世以降か)

 

《調神社の祭神の一説として、月読命があるように、創建時から月読大神はいました。

農耕と月の満ち欠けは関係があり、神社名の通り、月読大神を祭っていたのです。

 

ところが、長い年月のうちに忘れられました。

江戸時代の月待信仰により、月への信仰は復活しましたが、

月読大神が祭神に復活することはありませんでした。

 

調神社は月読大神を祭神に復活させることで三貴神がそろい、社運は興隆していきます》

 

さいたま市桜区神田には第6代孝安天皇20年(紀元前373年)に創建されたと伝えられる月読社が鎮座しています。

この月読社は調神社と関係が深いようです。

 

山形県鶴岡市羽黒町に鎮座する出羽三山神社にも、月読命が祭られています。

月信仰は大自然の運行に基づくもので、大切にしたいですね。

 

 

※3月28日の講座もおかげさまで、盛況のうちに無事開催できました。

次号で感想の特集をしたいと思います。

 

受講生の皆さまと遠隔参加の方のご感想をお待ちしています <(_ _)><(_ _)>

 

さいたま市浦和区の調神社(つきのみや)拝殿
さいたま市浦和区の調神社(つきのみや)拝殿