
〔前編〕からの続きです
深大寺の混雑に挫折した後、西東京市の田無(たなし)神社に向かいました。
深大寺から北へ車で約30分、自宅へ帰る中間地点にあります。
田無神社も近年、龍神さまのパワースポット(それも五龍神!)としてブレイクしている神社です。
私は初めてですが、山田は20年以上前に一度行ったことがあるということです。
田無神社は青梅街道の要衝の市街地に鎮座します。
こちらの駐車場にはあと1台というところでなんとか入れました。
青梅街道に面して一の鳥居があり、そこから「龍神の道」という参道が伸びて本殿・拝殿へと続きます。
まず目についたのが、「開かれた神社」という大きな看板です。
「地域に開かれた神社でありたい」
「神職や巫女たちが参拝者にとって親しみやすい存在でありたい」
という、神社側の強い想いだそうです。
こういうアピールはめずらしいですし、なかなかいいなと思いながら鳥居をくぐりました。
境内は多くの参拝客で活気あふれ、屋台も出て賑わっています。
七五三のご祈祷のための特設のテントが張られ、大勢の家族が神職のご祈祷を受けていました。
拝殿前は参拝の行列ができています。
若い方々が多く、境内全体が明るく活気がある神社という印象です。
山田も、「以前来たときは閑散としていたけど、だいぶ明るくなったね」と驚いていました。
拝殿にかかるしめ縄の上に龍神さま、その上に鳳凰さまの迫力ある彫刻が施されています。
拝殿・本殿の随所に霊獣、霊鳥などの見事な彫り物の装飾がありますので、
これらを見つけながら参拝するのも楽しそうです。

賽銭箱をはさんで拝殿入口に、とぐろを巻く龍神さまの大きな置物があります。
これは金龍神の木像だということです。
金龍は大地と豊穣を司り、全体を守護するとともに、
あらゆる運気の向上と幸福招来のご利益があるとされています。
拝殿左手にある大きなイチョウのご神木が金龍神の宿るご神木とされます。
田無神社は五行思想に基づいて五龍神をお祭りしていて、
中央の金龍が本殿の尉殿(じょうどの)権現で、
境内の四方に「東方→青龍、南方→赤龍、西方→白龍、北方→黒龍」をお祭りし、
それらの龍神が宿るとされる5本のイチョウのご神木があります。
田無神社の由緒によれば創建は鎌倉時代で、
当時は尉殿(じょうどの)権現と称され、現在地から1キロほど離れた北谷戸の宮山に鎮座していました。
江戸時代に青梅街道ができて、宿場町として田無が賑わうようになってから、
現在地に「遷座」されたということです。
明治時代の神仏分離令により、尉殿権現から「田無神社」という名称に変わりました。
田無神社の主祭神は「級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺(しなとべの)命、大国主命」です。
シナツヒコノ神・シナトベノ神は、元寇の際に神風を吹かせて日本を守護したとされる、風をつかさどる神さまです。
伊勢神宮内宮の風日祈宮、外宮の風宮、龍田大社に祭られています。
そして大国主神は国土の開拓神として、スクナヒコナノ神とともに国土の開拓と経営に尽力された神とされます。
福の神・ダイコクさまであり、五穀豊穣、縁結び、医療、商売繁盛のご神徳があります。
本殿にはほかに、八衢比古(やちまたひこの)神・八衢比売(やちまたひめの)神、
須佐之男(すさのおの)命、倉稲魂(うかのみたまの)命、應神天皇、猿田彦命、大鳥大神がおられます。
ご祭神が多いのは明治以降、神社の統廃合により、近隣の地区の鎮守が合祀されたからです。
さらに、境内の摂社末社にいろいろな神々さまがおられます。
山田の話です。
「龍神さまは雨を降らせるなど大自然の恵みを与えたり、祓い清めを行うご存在です。
人間は龍神さまにも縁結びや商売繁盛など現世ご利益を願いますが、
人間社会での願い事は、ご本殿や摂社末社の神々にお願いした方がよいのです」
本殿の右手後方に「鹽竈(しおがま)神社」と「煩大人(わずらいうし)神社」の2社が並んで鎮座しています。
鹽竈神社は塩土老翁(しおつちのおじの)神とすぐわかるのですが、
となりの“煩大人”(わずらいうし)という名称は聞いたこともないので、
一体どんな神さまだろうと思って調べてみました。
イザナギノ命が黄泉国(よみのくに)から戻ってきてミソギハライをする時に、
身につけていたものを脱ぎ捨てると、そこから生まれた12の神の1柱で、
御衣から化生した神ということです。
(そういう神さまもいるのですね……初めて知りました。
イザナギノ神さまは国生みの祖神であり、ありとあらゆる神々を生み出したのですね)
“煩大人”は『古事記』では「和豆良比能宇斯能神」という表記になっています。
宮城県気仙沼市の羽黒神社や群馬県前橋市の赤城神社、下仁田町の荒船神社にも祭られているそうです。
さて、田無神社の元である尉殿(じょうどの)権現の“尉殿の神”とはどんな神か?
という歴史的な謎があるようです。
六代宮司の賀陽濟氏は田無神社の由緒について、
「尉殿大権現は龍神で、水と風を治める豊穣の神々(男神の級長津彦命と女神の級長戸辺命)です」と解説しています。
また、神仏習合の考えでは、尉殿大権現は不動明王とされました。
(昔は俱利伽羅不動明王の像をご神体として祀っていたということです)
関東ローム層におおわれた武蔵野台地という水の乏しい場所で、
生きるための水を得ることは人々にとって最重要だったといえます。
(田無神社の発祥の谷戸の宮山は水に恵まれた地域でした)
尉殿権現の尉(ジョウ)とは本来、水を守る神を意味していると考えられます。
水と豊穣の神であり、用水、水利の神であり、湧水、慈雨の神として祭られたのでしょう。
「じょうどの」の神は古くから地域の土着の神であり、関東地方に広く分布していました。
(尉殿、重殿、上殿、頭殿、蔵殿、通殿など、いずれも水に関係する)
山田の話です。
「深大寺の鎮守である青渭神社も龍神さまがおられ、大きな池があったということです。
関東には現在よりも、見沼をはじめ沼や池、川が多かったので、龍神信仰が盛んだったのでしょう。
大自然に対する感謝の念が龍神信仰を盛んにしたのです」
この地域の先人たちの水への感謝の念と、
水の神への信仰が今日まで営々と受け継がれてきたひとつが、ここ田無神社といえましょう。
拝殿の右手には、最近ではめずらしい立派な屋根付きの土俵も整備されています。
毎年5月に「わんぱく相撲西東京場所」というのが開催されているそうです。
当社のホームページを見ると、
年中行事や祭礼、相撲やお茶会などの伝統文化、各種イベントなど盛りだくさんで、
職員の方々の創意工夫や熱意が伝わります。
また、参道の途中に小さな「龍神池」がありますが、
多様な水辺の生き物が棲むビオトープとして2018年に整備されました。
子どもたちが生き物とふれあえる場所として、また自然環境の保全という地域の有志の想いがあったようです。
こういう神社だったら楽しいし、人気が出るのもなるほどなとうなづけます。
また来たくなる神社で、応援したい神社です。
田無神社の神々さま、龍神さま方に元気をもらい、心癒されて帰路につきました。
(※山田雅晴のコラムに龍神信仰についてくわしく述べています)
