前編のお盆の話をアップした後に、ある会員さんからメールをいただきました。
「ブログ興味深く拝見しました。
私も5月に父の祥月命日があり、
その帰り道、信号待ちの車の中で“一人О⁻リング”しながら、
『今度会うのはお盆かな?』と尋ねたところ、
《NO》が出てびっくりしました。
そこで自己との対話(キネシオロジー)、O⁻リングでさらに聞いてみたところ、
《供養されているので父も来ないし、先祖も来ない》
という答えになりました。
『それではお盆にお墓参りする意味はないのでは?』と聞いてみたところ、
《浮かばれない先祖や浮遊霊には意味がある》
という答えが出て、なるほどと思いました。
『では、お彼岸は来るのか?』と聞いたところ、
《お彼岸は来る。先祖代々も来る》との答えでした。
お彼岸時期は気合いを入れてご先祖様へ祈りを捧げようと思いました。
正しいかどうかわかりませんが、ブログの話と少しリンクしていたのでメールしてみました。
これまで(山田先生の)講座を長年受講してきていたので、
ご先祖様方が当然供養されているなと思っておりましたが、
このような形で供養されていたということを実感できて、山田先生には感謝です!」
完全にリンクしていますね…(^^;)
お盆の時期なので、一度きちんと伺ってみようかということで、
ミロク北辰の大神さまに伺ったのですが、
この会員さんの話とのシンクロニシティに驚きました。
では、前回の続きの問答です。
私が質問をして(Q)、山田がミロク北辰の大神さまに伺った話と霊視によって(A)で解説しています。
Q. 供養はいつまで必要なのですか? たとえば33回忌までとか。
A. 亡くなってまもない霊はこの世に多少の執着があるので、ある程度の供養は必要でしょう。
ただし、霊界自体が現世のような時間の感覚ではないので、
亡くなって〇年だからということではなくて、その霊のレベル次第です。
早く高い霊界に行く場合もあるし、何十年たってもあまり変わらない霊もいます。
基本的には33回忌過ぎると「祖霊」に分類されるので、
供養というのはなくなって、祖霊への感謝の祀りという感じになります。
お盆やお彼岸も基本的には「感謝の祀り」として行うとよいでしょう。
Q. お墓に一族家族の霊が集まることはありますか?
A. お墓は「依り代」になるので、お盆やお彼岸に集まる場合もあります。
日本人は熱心にお墓参りをする人が多く、お墓を大事にする民族です。
沖縄では一族でお墓に集まって宴会したりします。
そういう感じで、先祖もお墓を依り代にして、子孫に会いにくることがあります。
全部の先祖霊が集まるというよりも、集まりたい先祖霊が集まるという感じです。
特に、亡くなってそんなに時間がたっていない場合は、
墓参りする子孫と会うために来る霊たちもいます。
先祖たちは霊界ではみんなバラバラで、
それぞれの霊的レベルに応じたコミュニティに属しており、
自由に会ったり行き来できるわけではありません。
お墓はそういう面では、
自分が生を享けてこの世にいたときの“縁の拠りどころ”になります。
また、同じ一族ということで、先祖どうしの「助け合い」もあるみたいです。
そういうことがあるので、
《お墓は一族が集まる「場」「依り代」として、今の人類には大事ですよ》
という神さまのメッセージです。
Q. お盆とお彼岸はどちらも先祖を供養するというイメージですが、違いはありますか?
A. お盆はどちらかといいますと、
下層にいる先祖霊たちが子孫から供養してもらうための行事です。
現界に帰る際は、仏尊たちからまとめて連れていってもらいます(前編参照)。
「地獄の釜が開く」という表現は、下層の霊たちを指した表現になります。
春分の日と秋分の日は彼岸(西方極楽浄土)と此岸(この世)が最も通じやすい日とされます。
お彼岸の場合は、中層や上層にいる霊たちが、
お墓に一族先祖の霊たちや子孫たちと交流するために集まります。
霊たちは自分の霊力で飛翔して、集まることになります。
いずれにしろ、個人の霊にとっては1年に1度だけ、
家族一族の霊たちや現界の子孫たちと交流する機会になります。
(現界に行くか、行かないかは個人の霊の判断にゆだねられているようです)
それを管轄指導しているのが「家族一族の守護仏」をはじめ、ご本尊さまや仏尊たちになります。
したがって、仏尊たちへのご開運の祈りが大切になります。
(「家族一族の守護仏」のお名前は、希望者に対して「神伺い特別神事」の中で明らかにしています)
Q. 日本では「墓じまい」が急増していますが、
それは神仏・先祖から観てどうなのでしょうか?
また、樹木葬、散骨、納骨堂、手元供養など多様化していますが。
A. 《できれば、墓はちゃんとしたものがよいですね。
ただ、生きている人間たちがいろいろやることに、先祖としては意見は言えません》
子どももいない、結婚もしないという時代です。
墓を建てるとしても、何十年とそれを承継して供養していくことが難しくなっています。
ある程度したら合葬されたりして、お墓がなくなることはやむを得ないでしょう。
感じとしては、ご先祖さま方が、「それならやむを得ないね」と思えることです。
つまり、子孫がいるのに、まだできるのに、
「面倒だから墓じまいしてしまう」というのは、先祖としては不本意なようです。
お骨に関しては、散骨や手元供養は「やめてほしい」ということです。
お盆やお彼岸において、お墓が先祖霊たちとの交流拠点になるので、
通常のお墓に埋葬するのがベストですが、
樹木葬、納骨堂は「やむを得ない場合は可」ということです。
お骨は基本的に、土に戻ったほうがよいのです。
樹木葬は昔の「塚」のようなイメージであり、いずれ自然に還っていきます。
墓石はないので、そこに一族が集まるということはできませんが、
個人の霊に会いにいくということになります。
以前から、《個人墓よりも、家族一族が入るような墓が望ましい》
と、神さまから言われています。
個人の墓はなくなっても、一族先祖の墓が残っていれば、
そこに一族の先祖霊たちで集まることはできます。
結論としては、
「依り代としてのお墓はあったほうがよい。
樹木葬と納骨堂は、やむを得ない場合は可。
散骨と手元供養はやめてほしい」
ということです。
※個人的事情、地域による慣習などありますので、それらを否定するものではありません。
あくまでも神さまにお伺いした話であり、今後のご参考になればということです。
Q. 今年は戦後80年です。
日本では戦後80年、ずっと犠牲者に祈りを捧げたり、慰霊の式典を行ってきましたが、
空襲や原爆で亡くなった人たちや、成仏していない戦死者のミタマはまだ多いのでしょうか?
A. 《そんなに多くないです。ゼロではないが、ある程度成仏しています。
また、祈りや慰霊を続けてきたことは効果があります》
カルマ昇華の講座や神霊昇帰法、大霊界の光明化も行ったので、不成仏霊はだいぶ減っています。
日本で亡くなった犠牲者はある程度成仏していますが、
外国で亡くなったケース(東南アジアで戦死したり、沈没船に乗っていたとか)で、
まだ成仏していない霊たちがいるようです。
ただし、同じ死に方をしていても成仏した霊も結構いますので、人によって違います。
《そういう死に方をする本人の前世からのカルマがある。それが現実なのです》
戦争に行っても運よく助かったり、戦争に行かなくてすんだ場合もあります。
結局、本人が徳をもっているか、子孫が徳を積んでいるか、
カルマ昇華をしているかどうか、個人で差が出てくるのです。
ミロク北辰の大神さまのメッセージです。
《戦死者を慰霊したり、供養するのはよいことです。
ただ、戦死者を“神”として祭るのはよくないのです。
なぜなら、戦死者は普通の人間霊であって、神ではないからです。
私のような神の立場から観ると、
戦死者を英霊とか軍神として尊崇するのは、分不相応だといえます。
そうすると、戦死者の霊が勘違いするのです。
自分は苦しんで死んだのに、神のように祭られていると、混乱するのです。
大切なことは、慰霊や供養をしたり、子孫が徳積みやカルマ昇華を行い、
高い霊界に移行するようにミタマたちのご開運を祈ることです》
※このメッセージは思想・信条ではなく、神さまの立場からのお話になります。
ちょうどお彼岸に入りますので、自分のルーツである先祖一族に想いを馳せ、
お墓参りや仏壇でご先祖さま方への感謝の祈りをされるといいでしょう。
