
4月末の連休の初日、静岡県浜松市に旅行しました。
久しぶりに新幹線での移動です。
品川からひかりに乗って1時間20分ほどで着きます。
浜松といえば“楽器の町”です。
駅のコンコースにはだれでも弾けるグランドピアノが置いてあります。
ちょうど腕自慢の人が達者な演奏を披露していました。
駅前でレンタカーを借りて、まず、車で10分ほどにある浜松城に行きました。
浜松のシンボルである浜松城は1500年頃に建てられた曳馬城に始まり、
歴代城主が出世したことから、「出世城」といわれています。
ちなみに、浜松市のマスコットキャラクターは「出世大名家康くん」で、
ちょんまげはうなぎ、袴の部分はピアノの鍵盤柄です(^^;)。
浜松城や街のあちこちでこのキャラクターを目にします。
1570年に徳川家康が入城してから浜松城という名前に改称され、拡張改修が進められました。
家康は29歳から47歳まで、この浜松城を拠点にします。
城内に若き日の家康像が立っています。
現在の天守閣は昭和33年に再建されたものです。
基礎となる石垣や土塁、天守門は創建当時の面影を残していて、迫力があります。
白い天守閣が青空に映えて美しかったです。
次に、浜松市中央区利町に鎮座する「五社神社・諏訪神社」に行きました。
社号額には「五社神社・諏訪神社」と並べて書いてあります。
「五社神社」は曳馬城(浜松城)の城内に鎮座したことに始まるので、
創建は1500年以降だと思われます。
家康の時代に第2代将軍の秀忠公誕生の産土神として崇敬されたとあります。
「諏訪神社」の歴史は791年、坂上田村麻呂が東征の折に奉斎したということですから、
こちらのほうがだいぶ古いわけです。
1556年に城内に遷座され、秀忠公誕生時に五社神社と同様に産土神として崇敬されました。
「子守り、子育ての神」として、初宮参りや七五三でたいへん賑わうとのことです。
両社とも国宝だった社殿は昭和20年、戦災により焼失しました。
昭和37年に合祀され、昭和57年に現社殿が再興されて現在に至ります。
朱塗りの両横に広い造りで、豪華絢爛な社殿です。
五社神社のご祭神は、
太玉(ふとたまの)命(みこと)、武雷(たけみかづちの)命、斎主(いわいぬしの)命、
天児屋根(あめのこやねの)命、姫大神
(相殿)応神天皇(八幡大神)、舎人親王、菅原道真公、徳川家康公です。
太玉命や天児屋根命、姫大神は天の岩戸開きに活躍された光のミロクさまです。
武雷命、斎主命は国譲りの時に活躍された天津神です。
一方の諏訪神社のご祭神は、
建御名方(たけみなかたの)命、八坂刀売(やさかとめの)命、事代主(ことしろぬしの)命
(相殿)徳川家康公
つまり、諏訪(出雲系)の神々です。
タケミカヅチノ命とタケミナカタノ命は「国譲り」の際、格闘したとされます。
その御二方が同じ社殿に祭られているのは興味深いです。
ちなみに常陸国一の宮・鹿島神宮(主祭神・タケミカヅチノ大神)と、
信濃国一の宮・諏訪大社(主祭神・タケミナカタノ大神)はほぼ同じ緯度に鎮座しています。
山田の話です。
「遠江国(とおとうみのくに)一の宮・小國(おくに)神社のご祭神は大己貴(おおなむちの)命(大国主大神)さまです。
三河国一の宮・砥鹿(とが)神社のご祭神も同様に大己貴命さまです。
諏訪神社のご祭神の建御名方命さまは大国主大神の御子神です。
つまり、遠州や三河は出雲系の神々が“ベース”になっているわけです。
徳川家康公は徳川幕府を開いて、江戸から平和な国造りを始めました。
国造りをした大国主大神さまとイメージが重なります。
なお、出雲神話では天孫への国譲りが有名ですが、徳川幕府も朝廷へ大政奉還をしました。
歴史は繰り返しますね」
拝殿でお参りしていた、まさにその時に、
うら若い巫女さん3人による舞いが始まりました。(ちょうどお稽古だったのです)
雅楽の演奏とともに、フルで舞いを堪能させていただき、ラッキーでした。
その神楽舞は激しい上下の動きがあり、筋力・体力のある若い人でないと無理だなと思いました。
先に訪れた浜松城は戦いのカルマや権力の場所で、人間のドロドロした歴史の舞台になった場所です。
五社神社・諏訪神社にお参りして、その気の違いを感じ、スッキリ清めていただいた感じがしました。
ちょうど、日光東照宮に行った後に、となりの日光二荒山神社にお参りして、
場の気が軽くなってほっとした感じと似ていました(笑)。
そのあと、車で40分ほどの浜名湖畔の舘山寺温泉に向かいました。
舘山寺温泉はお湯がさらりとして、身体がぽかぽかと温まるいいお湯でした。
