修善寺、歴史にふれる旅〔再掲〕

  

昨年、大河ドラマで「鎌倉殿」がブレークしましたが、

ゆかりの地・伊豆修善寺の旅行記がありましたので、

「山田の新たなコメント」を加えて再掲します。

 

2017年12月29日の旧ホームぺージのブログ記事に加筆しています。

(多忙、ネタ切れ、スランプのため…(-_-;)

 

12月上旬のある日、静岡県修善寺温泉に1泊2日で旅行しました。

修善寺は4回目の旅行です。

紅葉がまだ残っており、お天気にも恵まれ楽しみました。

 

修善寺の温泉街はこじんまりとして、端から端まで歩いても15分ほどで、

おもな観光ポイントは1時間もあれば歩いて回れます。

ミシュラングリーンガイドでは2つ星を獲得していて、伊豆の小京都といわれます。

 

まずは地元の鎮守さまにごあいさつするために、日枝神社に行きました。

最近ではパワースポットとして人気が高いようです。

 

境内は巨木が何本もそびえ立ち、めおと杉という樹齢800年のご神木があります。

子宝のご利益があるということで、全国から参拝者が訪れるということです。

 

次に、修善寺の名前のもとになった曹洞宗・修禅寺に行きました。

修禅寺は観光のメインスポットで、多くの観光客が訪れています。

 

日枝神社からすぐ近くにあり、807年に弘法大師が創建したとされます。

日枝神社も弘法大師の創建とされ、修禅寺の鬼門を守護しているとされます。

 

参拝した時、ちょうど「御本尊特別拝観」のポスターがありました。

通常は本堂須弥壇に安置されているご本尊の大日如来さまを、

宝物館でこの10日間だけ展示しているというのです。

「おおーっ!」と思って、早速、拝観させていただきました。

 

慶派の実慶という仏師の作とされますから、

800年以上前、運慶たちと同時代の仏像です。

2017年10月に上野で運慶展を見たので、作風が似ていると思いました。

 

中国から渡来した古仏には、

1500年ほど前のミロクさまの半伽思唯像や釈迦如来像がすぐ目の前にありました。

 

きれいな状態なので、「あの像はレプリカですか?」と係の人に聞いたら、

「いいえ、本物です。中国の収集家が秘蔵していたものなのです」とのお話でした。

 

ほかにも、ゆかりの深い源頼家関係の資料も豊富で、歴史の勉強になります。

貴重な仏像や資料が豊富に展示されているわりには、観覧料300円は安い!

修禅寺に行かれた際は見学されることお勧めです。

 

山田の話です。

「修禅寺は弘法大師空海の創建で、最初は真言宗でした。

その後、曹洞宗に改宗されました。

もとは“修善寺”でしたが、曹洞宗になった時“修禅寺”に改称されたという説もあります。

 

ご本尊は大日如来さまですから、真言宗のご本尊です。

真言宗の宗旨の人の加護仏閣のリサーチの際、修禅寺が加護仏閣になることがあります。

仏尊さま方にとっては、宗旨は関係ないのだと思います。

 

ちなみに、私は家族一族の守護仏さまのお名前を伺い、縁深い仏閣を神伺いしています。

その際、仏閣そのものが縁深いということではなく、

その仏閣のご本尊さまや仏尊さまと、家族や一族が縁深いと認識してください」

 

温泉街の中心に桂川の清流が流れ、弘法大師伝説の“独鈷の湯”があります。

弘法大師が807年、この地を訪れた時、

桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ、その孝行に感心した大師は、

「川の水では冷たかろう」と、独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させます。

この温泉で父の病を完治させることができたという伝承です。

これが修善寺温泉の発祥とされます。

 

外せないスポットは「指月殿(しげつでん)」です。

山間に少し上ったところにあり、伊豆最古の木造建築(1203年)です。

たしかにすごく古いのですが、風格というか、長い歴史にたえた重みが感じられます。

 

北条政子が、息子である鎌倉二代将軍源頼家の冥福を祈って立てた経堂です。

堂の中央に蓮の花を手にした大きな釈迦如来坐像が安置され、

両側に仁王像が立っています。

 

源頼家は源頼朝と北条政子の嫡男で、二代将軍なのですが、

北条氏にその座を奪われ、修禅寺に幽閉されます。

 

最期は入浴中に刺客に襲われ、非業の死をとげたそうです。

なんと、23歳の若さでした。

その最後のようすは、最も悲惨な殺され方をした将軍として有名になりました。

 

時代とはいえ、あまりにも気の毒です…。

 

鎌倉時代は武士の時代で、歴史としてみると躍動感のある時代ですが、

実態は陰謀あり、裏切りあり、「一族根絶やしにする」とか残酷で悲惨な時代でした。

 

だからこそ、新興の鎌倉仏教が盛んになり、浄土思想に救いを求めたという面もあります。

(この時代に生まれて武士だったら、相当カルマ積んでいますね…(;'∀')

 

山田の話です。

「通信前世セッションを行っていますと、

男性の前世の時に『戦いのカルマ』を積んでいるケースが多いのです。

ウクライナ戦争を見てもわかるように、戦闘は主に男性が行っているからです。

 

女性の場合は、前世で『宗教的カルマ』を積んでいるケースが多いようです。

男性に比べて女性は信仰心があるので、サニワ(審神法)ができていないと、

カルト宗教や悪徳霊能者に利用されたり、加担したり、

よかれと思って「宗教的カルマ」を積んでしまうことがあるのです。

(旧統一教会問題でも女性信者の被害が多い傾向がありますね)

 

前世一族先祖のカルマのお詫びの際、

戦争のカルマ、宗教的カルマを意識してお詫びをするとよいでしょう」

 

さて、指月殿の境内には頼家の墓など、いくつかのスポットがあります。

おもしろかったのは左手に占いの石があります。

重い石で、「願い事を念じながら持ち上げて、軽く感じたら叶う、重かったら叶わない」というものです。

私もやってみました。

 

…… お、重くて持てません! ( ;∀;) 残念…

 

そして、修禅寺とセットで訪れるのに特にオススメなのは、

伊豆長岡の葛城山にある「伊豆の国パノラマパーク」です!

ロープウェーの空中散歩は鳥になった気分が味わえます。

 

山頂は整備され、レストランや公園、無料の足湯などがあります。

まずは、葛城神社に参拝します。

 

古来より葛城山の山頂に鎮座し、延喜式では「倭文神社」とあります。

役小角命(えんのおづぬのみこと)もここで修行したとされます。

 

役小角命は伊豆大島に流刑にされましたが、

その法力により、毎晩海を歩いて富士山に登ったという伝承です。

熱海や伊豆山神社、伊豆半島各地に足跡があります。

(復刻CD『神秘体験と天界・神仏界の秘儀』にも役小角命が出ています)

 

葛城神社のご祭神は萬幡豊秋津比命(よろづはたとよあきつひめのみこと)さまです。

機織りの神さまで、ベガ星の天女神族です。

伊勢神宮の内宮に祭られている重要な女神です。

 

さらに、葛城神社には隠れ神として国常立命さまもおられるということです(『秘録』35号)。

 

山田の話です。

「天女の最上級の羽衣は鳳凰の羽根でつくられており、

富士山が鳳凰が舞い降りる聖地だったからでしょうか、

富士山一帯に天女神族の聖地があります。

 

富士山の浅間大社の木花開耶姫(このはなさくやひめの)大神さま、

羽衣伝説で有名な三保の松原の御穂神社の三穂津姫命さまも、

ベガ星の天女神族です。

 

下田市の伊豆国一の宮・伊古奈比咩命神社(白濱神社)の

伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)さまは北辰出身の天女神族です」

 

葛城山山頂からの眺めが素晴らしく、

富士山が眼前にドーンとそびえ、駿河湾も遠望できます。

足湯につかりながら富士山を見るというぜいたくな時間を過ごせました。

 

旅の最後は、三島市の伊豆国一の宮・三嶋大社参拝でしめくくりました。

 

葛城山山頂から富士山をのぞむ
葛城山山頂から富士山をのぞむ