晩秋の秩父旅(後編) 秩父神社と武甲山の国魂

 

聖神社から秩父市中心部に移動し、秩父総鎮守の秩父神社に参拝しました。

秩父神社は6、7年ぶりでしょうか。

ご神木の大イチョウの黄色が鮮やかに、青空に映えていました。

参拝客はとても多くて、ご開運が進んでいます。

 

ご祭神は八意思兼(やごころおもいかねの)大神、知知夫彦(ちちぶひこの)命、天之御中主(あめのみなかぬしの)神、秩父宮雍仁(やすひと)親王です。

秩父宮様は昭和天皇の弟君になります。

 

八意思兼大神さまのご神徳は「政治・工業・学問・開運の祖神」とされ、

智慧の神であり、天の岩戸開き7神のお一方です。

講座に何度も来ていただいていますね。

八意思兼大神さまをお呼びする時はこの秩父神社からお呼びすることが多いのです。

2011年3月、山田がここで八意思兼大神さまとウケヒをして神業が大きく進展しました(『秘録』34号)。

 

八意思兼大神さまの10世の子孫が知知夫彦命であり、知知夫彦命が祖神をお祭りしたのが秩父神社の発祥とされます。

秩父国は武蔵国(現在の東京・埼玉)成立以前から繁栄していた地域であり、その総鎮守が秩父神社なのです。

 

そして、秩父神社といえば12月はじめに行われる「秩父夜祭」で有名です。

秩父夜祭は妙見(アメノミナカヌシノ神)信仰の神事です。

妙見信仰とは、北辰(北極星)・北斗(七星)を神座とする星の信仰です。

 

本殿裏手一面にズラーッと、全国のすべての一の宮を祭った天神地祇社が並んであり、相当な格式を感じさせます。

本殿北側の「北辰の梟(ふくろう)」の前で山田が祈念しました。

 

秩父神社も修復が進められていて社殿片側が修復中でしたが、修復のすんだ面は装飾の色彩も鮮やかによみがえっていました。

 

拝殿に向かって、境内右手の一角にある摂社の禍津日(まがつひ)社に参拝しました。

山田の話です。

「禍津日大神さまはミソギの神であり、重要な幽冥の神族であり、

もっと大きなご社殿で祭った方がよいですね。

また、祓戸の大神であるハヤサスラヒメノ大神さまも隠れています」

 

神話ではイザナギノ命が黄泉の国から帰ってきて、

ミソギをした時に生まれたのがヤソマガツヒノ神、次にオオマガツヒノ神。

(その禍を直そうとして)次に生まれたのが神直日(カムナオヒノ)神、大直日(オオナオヒノ)神、伊豆能売(イズノメノ)神とされます。

 

秩父神社には「幽冥の帝君族・神族」のご存在も隠れているわけです。

幽冥の帝君族・神族とは大霊界と輪廻転生システムをつかさどる存在です。

(くわしくはCD『表の神仏界・裏の幽冥の帝君族』をお聴きください)

禍津日社は秩父神社に参拝する際は要チェックです。

 

さて、秩父夜祭と深く関わるのが対面にそびえる武甲山です。

武甲山という山名は、ヤマトタケルノ命が自分の甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したことが由来という伝承です。

秩父神社の神体山であり、別名「妙見山」といわれます。

 

秩父神社では春の「お田植祭」も重要な神事です。

お田植祭では藁で作った龍神が登場しますが、この龍神は市内の今宮神社の龍神池からお迎えした龍神さまです。

今宮神社の龍神池は武甲山の伏流水であり、水源を通して武甲山の龍神をお迎えするという意味があるそうです。

そして、秋の夜祭でその龍神さまを再び武甲山に送りかえすのだそうです。

 

つまり、「秩父夜祭りとは、武甲山に鎮まる秩父国魂の大神を春の御田植祭で秩父神社に歓迎し、

農事や養蚕の収穫を終えた晩秋に秩父夜祭でまた武甲山に鎮送するという毎年の送迎神事」というわけです。

なるほど、そういう奥深い神事なんですね~~( ̄▽ ̄)

 

全国的にも、春に山の神さまが里に下りて田の神となり、収穫の終わった秋に山に帰るというパターンがありますね。

 

さて、今宮神社の龍神さまといえば八大龍王大神さまがおられます。

1999年の秩父神業でご開運されて「今宮龍王大神」さまとなり、初期の神業で大活躍されました(『秘録』3号) 。

現在も自宅でお札をお祭りしています

 

武甲山は龍神さまのいますお山でもあるのです。

妙見信仰、龍神信仰、山岳信仰、古代の巨石信仰など、武甲山は重層的な聖地になっています。

 

翌日、「まだ行ったことのない場所に行きたいな」と思ってマップを見ていたら、

秩父の祖神である秩父彦命、秩父比売命の墳墓の跡とされる「国神の大イチョウ」という史跡があるというので、そちらに行くことにしました。

 

皆野町国神地区にある県指定天然記念物で樹齢700年、

知る人ぞ知る紅葉の穴場スポットということで、期待が高まります。

近くには秩父比売命の塚の跡とされる「国神の姫イチョウ」もあります。

 

ところが、その場所に行ってみると、イチョウの葉はすっかり落ちていました。残念! 

少し山手に入っただけで、市街とはこんなに違うのですね…(-_-;)

秩父彦命の塚の上にこのイチョウが植えられたとされ、「妙見社」も祭られています。

 

気を取り直して、近くにある国神(くにかみ)神社に行きました。

オオモノヌシノ大神さまが主宰神で、元は金毘羅神社だということです。

大きなご神木が周囲に何本かあり、小さいけれどパワーのあるいい神社です。

 

山田は今、武甲山をはじめ秩父三山、金刀比羅宮について研究中で、秘録76号で公開できると思います。

 

それから高速で移動し、最後に寄居町にある鉢形城(はちがたじょう)史跡に行きました。

山田は城好きでもあるので、以前から行ってみたいということでした。

 

鉢形城の築城は1476年で、関東では有数の規模を誇り、

北条氏の北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割をはたしました。

自然の地形を利用した城塞や堀、起伏に富んだ広大な城跡で、歩き疲れました(@_@)

歩くことでその広さを体感しました。

 

山田の話です。

「明治時代に廃城令が出て、たくさんの城が壊されました。

最近は、城ブームになっていますが、城跡しか残っていない場合が多いのは残念です。

神社や仏閣もそうですが、その時代の流れで栄枯盛衰しています。

古い伝統文化財は長期的視座で、残していくことが大切だと思います」

 

 

紅葉鮮やかな秩父神社ご神木の大イチョウ
紅葉鮮やかな秩父神社ご神木の大イチョウ