こんぴら狗(いぬ)と〈神犬〉の話

皆さんは、「こんぴら狗」のことを知っていますか?

私は最近になって、ネットで初めてその存在を知ったのですが、

江戸時代に実在した犬たちの話です。

 

「おかげ犬」というのはご存知の方も多いかもしれませんね。

「伊勢神宮に、病気などで参拝できない主人に代わって参拝していた犬」

という程度には、私も知っていました。

 

でも、四国香川県の金刀比羅宮にも、

全国から「こんぴら狗」たちが代参していたことは知らなかったのです。

 

さらに、その「こんぴら狗」たちがどのようにして参拝していたのか初めて知って、

驚きとともに感動をおぼえました。

 

金刀比羅宮のホームページを参考にご紹介します。

「江戸時代、お伊勢参りが大流行し、庶民にとって一生に一度の夢でした。

それに並んで人気があったのが、

讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と京都の東西本願寺といわれます。

 

当時、江戸を中心とした東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、

当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。

これを『代参』と言いました。

実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです……」(略)

 

江戸時代、こんぴら信仰が船乗りたちを通じて全国に広がりました。

(1月29日のブログ記事にも書いています)

讃岐の金刀比羅宮は幕府の勅願所にもなり、その神威は全国的に有名になりました。

「こんぴら参り」が大流行し、「一生に一度はこんぴら参り」といわれ、庶民のあこがれでした。

江戸や東日本からも多くの人々が「こんぴらさん」を目指したようです。

 

すべて徒歩での旅であり、

途中には箱根の坂やいくつもの峠、山越え、大井川などの川を渡り、

さらに帆掛け船で海を渡らなければなりません。

治安がよくない場所もあったでしょうし、

天候の悪化や、体調不良、ケガなど、多くの困難があったことは想像に難くありません。

 

もちろん、観光や名物の食べ物など、旅の楽しみも大きな魅力だったわけですが。

江戸から金毘羅宮までは往復1340キロメートルで、

だいたい40日くらいはかかったようです。

 

「こんぴら狗」は旅人や沿道の人々の善意のリレーで、

単独で! 江戸などの各地から金刀比羅宮まで旅し、

代参をすませたら、再び人々の手助けを受けながら主人の元に帰還していたというのです。

 

これって、すごくないですか? 

現代ではあり得ない奇跡だと思います。

 

ここで、「こんぴら狗」の代参システムをご紹介します。

「こんぴら狗」のスタイルは、首に「こんぴら参り」と書いた木札と巾着袋を下げます。

袋の中には初穂料(さい銭)や道中のエサ代、飼い主の名前、住所、祈願の目的を記したものが入っています。

道中、これが目印になり、人々の世話を受けることができます。

 

飼い主は関西や讃岐方面への旅人に「こんぴら狗」を託します。

犬は旅人や街道・宿場の人々に食事や寝る場所を提供してもらいながら、

旅人から旅人にリレー形式で託され、

「こんぴらさん」まで連れて行ってもらいます。

 

金刀比羅宮について代参をすませ、

お宮で「御神札」を首の袋に入れてもらうと、

再び街道筋の人々の世話になりながら、

飼い主の元に戻り、代参の役割を終えます。

 

江戸時代の人々は「こんぴら狗」を世話することが功徳になると考えて、親身にお世話したということです。

また、エサ代などもあまり手をつけられず、

かえってお金が増えて帰ってくることもあったそうです。

※伊勢神宮に代参した「おかげ犬」もほぼ同様のシステムだったようです。

 

江戸時代の人々はおおらかで心が豊かだったのですね。

主人に代わってけなげに旅をするワンコたちへの「慈しみのまなざし」が感じられます。

 

当時と今では価値観が違いますから、

単純に昔がよかったとばかりはいえません。

現代なら「動物虐待だ!」と言われるかもしれませんね(笑)。

 

江戸時代は野良犬がいっぱいいて、地域犬のような感じで人々に世話されていたようです。

「こんぴら狗」もそのような地域犬が務めることも多かったようです。

 

当時、どれくらいの数の「こんぴら狗」や「おかげ犬」がいて、

どれだけの数が無事帰ってきていたのかははっきりわかっていません。

途中でケガをしたり病気になって、

目的を果たせなかった犬たちも多かったことでしょう。

 

無事に目的を果たして帰還した犬たちが、

「こんぴら狗」や「おかげ犬」と讃えられたそうです。

 

ところが明治になると、野犬が取り締まられるようになり、

「こんぴら狗」や「おかげ犬」はいなくなりました。

古き良き時代の風習が明治になって消失したのは、なんだかさびしいです…。

もし、今でも残っていたら、

世界に誇れるユニークな文化遺産になっていたかもしれませんね。

 

山田のコメントです。

「神さまに伺ったところ、

《こんぴら狗やおかげ犬は無事務めをはたした場合、死んでからは〈神犬〉の候補になります。

そして半年ほど訓練を受けた後、神犬となって神仏のお手伝いをします》

ということです。

長期の参拝旅行は犬にとって、ある意味“修業”になったようです。

これらに成功した犬は神犬の候補としてふさわしかったのでしょう。

 

そして、人間と同じように犬に代参してもらうというのは、

江戸時代は人間と犬の間には大きな区別がなかったからです。

キリスト教が入ってきて、だんだん人間と動物に大きな開きができました。

 

キリスト教の宣教師が説く“人間中心主義”に、

幕末の日本人は、動物と対等だという意識があったので違和感をもったようです。

 

日本人は山川草木に神や仏が宿ると考えていましたから、

当然、犬のことも今の私たちとは違う目線で見ていたのでしょう」

 

こんぴら狗に興味を持ったので、『こんぴら狗』という本(物語)を買いました。

飼い主・弥生の病気平癒祈願のため、ムツキは江戸から讃岐の金毘羅さんまで旅に出ます。

波乱の道中、そしてさまざまな出会いと別れを描いたお話です。

おもしろくて、山田も私も一気読みでした!

犬好きの方、お子さんにもオススメです。

『こんぴら狗』くもん出版・今井恭子著 けっこう読み応えのある長編です
『こんぴら狗』くもん出版・今井恭子著 けっこう読み応えのある長編です