福岡旅行〔後編〕 日本の守り・筥崎宮参拝記

(前編からのつづきです)

翌日、福岡市東区箱崎に鎮座する、もう一つの筑前國一之宮である「筥崎宮」に行きました。

地下鉄「箱崎宮前」で下車すると、出口から正面に参道への「一之鳥居」が見えます。

 

筥崎宮は博多湾に面して建ち、一の鳥居から真っ直ぐ行くと海になります。

長い参道を歩いていくと、筥崎宮の歴史、神威、風格が肌で感じられてきます。

 

参道右手に「蒙古軍船の碇石」があり、ここが元寇の最前線基地だったのだなと思います。

 

1594年建立の重厚な楼門があり、「敵国降伏」の大きな扁額がかかげられています。

そこから拝殿・本殿を拝む形になります。

筥崎宮(福岡市東区箱崎)の扁額のかかる楼門
筥崎宮(福岡市東区箱崎)の扁額のかかる楼門

 

筥崎宮は宇佐神宮、石清水八幡宮とともに「日本三大八幡」とされます。

ご祭神は「応神天皇(八幡大神)、神功皇后、玉依姫命」です。

「開運、厄除け、勝負運」のご神徳があります。

 

筥崎(はこざき)という地名は、応神天皇が生まれた時の胞衣(えな)を箱に入れてこの地に埋めたことに由来するそうです。

(※胞衣とは胎盤・臍帯・卵膜など胎児を包んでいたもので、

呪力があると信じられ、屋敷の隅などに埋める習慣があった)

 

創建は平安時代の921年、八幡大神のご託宣により、筑前大分宮より遷座されたとあります(諸説あり)。

福岡県飯塚市に鎮座する大分(だいぶ)八幡宮(726年創建)が、筥崎宮の本津宮になるわけです。

 

1274年の文永の役では博多は火の海となり、筥崎宮も焼失した歴史があります。

元寇は当時の日本国存亡の一大危機だったのです。

 

それが、世界帝国だったモンゴルの軍船を、

当時の武士たちが総力を結集してこの博多湾で撃退したのです!

(よくぞ、日本を守ってくれました…涙)

 

さらに、2度の元寇の際に、2度とも暴風雨、台風に見舞われ、

蒙古軍は大きな被害を出し、日本から撤退しました。

 

元寇の際に日本を神助してくださったこと、

おかげさまで日本は平和で豊かな国になったことを、

筥崎宮にいます神仏・ご存在たちにお礼の気持ちを伝え、ご開運をお祈りしました。

 

「敵国降伏」のスローガンは勇ましく攻撃的ですが、

意外だったのは「敵国降伏のいわれ」という説明版に書いてあったことです。

 

「その真意は、武力で相手を降伏させる“覇道”ではなく、

徳の力をもって導き、相手が自ずから靡(なび)き降伏(ごうぶく)するという、

“王道”である我が国のあり方(真の勝利)を説いています」

 

徳の力をもって相手を信服させるという理念が、日本的ですね。

(ただ、当時の蒙古軍には通用しなかったと思いますが…)

 

また、この地は外国への玄関口であり、外敵の防御の最前線なので、

“強力な言葉(言霊)によって相手にニラミをきかせる”という意味合いもあったでしょう。

 

平日の午前中で参拝客は少な目でしたが、

とても気持ちのよい青空のもと、ゆっくりと境内を散策できました。

 

本殿の裏手にまわると、敷地の左右にそれぞれ末社が5社ずつ鎮座しています。

 

〇西末社 龍王社(海と空の守り)、若宮殿(芸能文化)、仲哀殿(家族の守り)、厳島社(旅行安全)、民潤社(火除)

  

〇東末社 池島殿(手足の守り神)、武内社(不老長寿、健康)、乙子宮(おとごぐう・子育て)、住吉殿(海上交通)、稲荷社(商売繁盛)

筥崎宮の東末社
筥崎宮の東末社

 

東末社の「池島殿」はわらじをお供えして、病気平癒を祈るという信仰が盛んなようです。

 

池島殿はいくつかの合祀社(宗像三女神、荒神社、酒造神社など)であり、

その中の荒神社に隠れ神としてアラハバキノ大神威(オオカムイ)さまがいらっしゃるということです。

アラハバキノ大神威さまは日本の古き神で、御大ともいうべき存在です。

 

筥崎宮においても、こういう摂社・末社を含めたいろいろな神仏が、

人間の願い事を聴いて、守護とおかげをくださるわけですね。

 

山田の話です。

「筥崎宮の場合、ご本殿の応神天皇、神功皇后という人間神よりも、

西末社・東末社の神々が主に人間の願い事を聴き、かなえているようです。

筥崎宮のように国家鎮護の神社の場合、まず日本、アジア、世界の平和を祈るとよいでしょう」

 

筥崎宮のお祭りでは放生会(ほうじょうえ)が有名です。

 

放生会とは、「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りです。

御神託により始まったもので、千年以上続く最も重要な神事とされます。

 

「私たちの生命は、他の生命の犠牲の上に成り立っています。

日頃は意識することは少ないですが、これら物言わぬ生命のおかげで、私達は生かされています。

放生会供養祈願祭は、あらゆる生き物の霊を慰め、感謝の気持ちを捧げるとともに、

さらなる商売繁盛、家内安全を祈る神事です」

ということです。

 

大自然への敬意と感謝、一切の生きとし生けるものへの慈しみの心が、すべての基本ですね。

 

あとで秘録25号を読み返すと、筥崎宮での神業の前に虹が出たという記述がありました。

そういえば、前日に(プチ)虹が出て、「これは吉兆だね」と言っていました(笑)。

 

今回は参拝できませんでしたが、

宗像大社(宗像市田島)も福岡県において超重要な神社であり、元寇の際に大いなる神助をいただいています。

 

山田の話です。

「蒙古襲来に際して、朝廷は全国の神社仏閣に祈祷を命じました。

伊勢神宮の風日祈宮、紀伊国一の宮・丹生都比売神社も、蒙古撃退の神威があったとされます。

 古くからの神社仏閣を大切にしていくことが、日本の霊的安全保障になると思います」