「千と千尋の神隠し」考

1月7日に放送された「千と千尋の神隠し」をご覧になった方も多いでしょう。

私も20年ぶりに観ましたが、「もののけ姫」と同様に、以前とは違う視点で観えてくるおもしろさがありました。

 

いろいろ感じたことを“まほろば的視点”で書いてみたいと思います(個人の感想です)。

※以下ネタバレあり

 

主人公の千尋が両親と郊外の住宅地に引っ越す場面から始まります。

そこは山の上のほうまで宅地開発されていて、ところどころに古びた鳥居や石仏などがあります。

 

途中から、一家の車は気づかぬまま異世界に入りこんでしまいます。

千尋は「いやだ、戻ろう」と止めますが、父親は「平気だよ」とトンネル状の入り口に入っていきます。

異世界の入り口がトンネルというモチーフですね。

 

トンネルを過ぎると気持ちのよい青空と草原が広がって、打ち捨てられたようなテーマパークがあります。

バブル開発の名残のようです。

 

一軒の無人のお店が美味しそうな食べ物を並べていて、両親は誘惑に負けてお金も払わずに勝手に食べ始めます。

これによって、両親は豚に変貌してしまいます。

飽食と慢心、人間の欲望の醜さをあらわしているように感じます。

 

赤い橋のむこうに大きな「油屋」の建物があります。

ハクという少年が、「ここへ来てはいけない! すぐ戻れ!」と千尋を止めますが、

結局、千尋は逃げることができず、途方にくれてしまいます。

“橋”が、異世界との境界のイメージです。

 

ハクは「そなたの小さい時から知っているよ」と言って、千尋がこの世界で生きていけるよう何かと手助けをします。

そして、「自分の名前を思い出せないが、千尋のことは憶えている」と言います。

 

油屋というのは「八百万(やおよろず)の神さまたちが疲れを癒しに来る湯屋」です。

そこの経営者が魔女の湯婆婆です。

夜になるといろいろな姿形をした神さま、異形の存在たちが次々と客としてやってきます。

たとえば、千尋といっしょにエレベーターに乗っていた大きな大根のような神さまは、

東北の「おしらさま」がモデルだそうです。

 

山田の話では「異形の姿は神さまではなく、精霊界のさまざまな存在のイメージだ」ということです。

 

油屋の従業員たちもいろいろな姿形をしていて、人間ではありません。

人間の姿をしていても、本来は狐であったり、タヌキであったり、異形のものたちのようです。

おそらく、自然破壊で棲み処を奪われた動物、生物や精霊たちがここの従業員というイメージです。

冒頭の山を切り開いた住宅地は、元はそこに住んでいた動物たちや精霊たちの豊かな棲み処だったわけです。

 

「くされ神」と呼ばれるヘドロの塊のような客がやってきて、あまりの臭さに油屋は大騒ぎになります。

千尋がその世話を命じられ、くされ神を薬草風呂につからせます。

 

くされ神の体にトゲのようなものが刺さっているので、みんなで力を合わせて引っこ抜くと、

それはなんと(廃棄された)自転車だったのです。

それをきっかけに、くされ神の中から次々と途方もない量のゴミやヘドロが飛び出してきます。

人間が長年にわたり川や海に捨ててきた大量のゴミや廃棄物、汚染された排水のヘドロによって、

くされ神に変容していたのです。

 

汚れを出し切って、きれいになったくされ神は、本来の翁の顔に戻ります。

「よきかな」と言って、龍神に変化(へんげ)して天へ昇っていきます。

 

本当はくされ神ではなく、名のある川の主の龍神だったのです。

湯屋できれいになって、癒され、本来の姿に戻って天へ帰っていったわけです。

龍神さまの“ご開運”ですね。

 

その際、千尋はくされ神から緑色の苦団子(にがだんご)をもらいます。

苦団子は解毒作用があり、カオナシのお腹から従業員たちを吐き出させたり、

ハクの体内から虫(魔法でハクをあやつるために魔女がしかけた)を吐き出させます。

 

苦ダンゴというのは、苦ヨモギのことだと思います。

デトックス効果や駆虫効果、さらには幻覚作用もあるようです。

聖書の「ヨハネの黙示録」にも、「この星の名は苦ヨモギといい…」と出てきます。

いろいろな意味合いがあるようです。

 

クライマックスで、ハクが龍神の姿になって千尋を乗せて空を飛ぶところで、

千尋は幼い頃、川に落ちた時のことをハッと思い出します。

 

川に靴を落として、それを拾おうとして川に落ち、おぼれかけます。

その時、何者かの手がさしのべられ、千尋の手をつかみます。

いつのまにか浅瀬に運ばれて、千尋は助かります。

 

その時、思い出します。

その川の名は「コハク川」だということを。

 

「あなたの本当の名はコハク川!」

 

そして、ハクも自分の本当の名前を思い出します。

「私はニギハヤミコハクヌシだ!」

 

千尋は、「すごい、神さまみたい」と言いますが、神さまなんです(笑)。

 

千尋が川に落ちた時に、その川の主であった龍神(ニギハヤミコハクヌシ)が助けてくれたわけです。

人間は忘れてしまっても、守護の神仏はその人間のことをずっと観ていて、憶えているものです。

 

コハク川はマンションが建って埋め立てられて、なくなってしまいます。

行き場を失った龍神(ハク)が、魔女(湯婆婆)に弟子入りしたというわけです。

 

ニギハヤミというのは、もちろんニギハヤヒ(饒速日大神)から着想した名前でしょう。

実際にニギハヤミという神さまはいませんが、水の神さまだからニギハヤミ(饒速水)というのはぴったりですね。

 

龍神さまといっても、レベルがあります。

大龍神…九頭龍大神さま、八大龍王大神さまクラスです。

龍神…大龍神さまの配下の龍神です。

竜神…比較的若い竜神です。

巳…竜神になる前のヘビの段階です。

 

ハクはまだ若い竜神のイメージです。

そして、くされ神だったのは龍神だそうです。

 

さらにいうと、龍神さまには「金龍、黄龍、白龍、青龍、赤龍、黒龍」がいて、

ハクはその名の通り白龍です。

白龍は龍神の中では高位の龍神になります。

 

さて、以前の特別セッションで、出てきた神仏が《このへんを清めてくれないか》と言うので、そこを清めたら、

昔はそこが本来の川で、現在は別な場所に川すじが変わっているという話がありました。

 

川や沼が埋められると、そこに宿っていた神仏や龍神、精霊(河童とか)たちが棲み処をなくします。

棲み処を奪われた龍神さまたちは、近くの山や湖に避難したり、中には人間に怨みを抱く存在もいます。

 

徳川幕府8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」では、大規模な新田開発が行われました。

武蔵国の広大な見沼(埼玉県)も埋め立てられました。

これで、見沼の龍神さま方への大きなご無礼がありました。

 

人間は自分たちの都合で川を塞いだり、沼地を埋めたり、山を切り開いたりしますが、

そこにいる多くの生命を奪っていること、種を滅ぼしていることには思いをいたしていません。

ジブリ映画は、そのことをあらためて思い起させてくれます。

 

最後のシーンでは、ハクの導きで再びもと来た道を帰っていきます。

別れ際、ハクは「ここを出るまでは、決して後ろを振り返ってはいけない」と言います。

千尋は後ろ髪をひかれながらも、振り返らずまっすぐ歩いて、元の世界に戻ります。

 

これも、異世界から帰るパターンでよくありますね。

もし後ろを振り返ったら、二度と帰れなくなったり、石や塩になったりとか。

 

そして、人間に戻った両親とともに車に戻ると、

車の屋根は落ち葉が積もって、中はホコリだらけになって、長い時間の経過をうかがわせました。

世間から見たら、一家は「神隠し」になっていたわけです。

 

もうひとつ大事なテーマは「名前」です。

湯婆婆は名前を奪うことで相手を支配しました。

つまり、「自分が何者か」をわからなくさせることはその人の過去を奪うことになるわけです。

 

自分の本当の名前を取り戻すことで、ハクは自分が川の神だったことを思い出し、

千尋も元の人間世界に戻ることができました。

 

以前の特別セッションで、変容して弱ってしまった神仏が、

自分の本来の名前を言い当てられると、たいへん喜びました。

中には自分がどんな存在だったのか忘れてしまう神仏もいました。

変容して、名前も変えられると、自分がどんな働きをする存在だったか忘れてしまうのです。

 

山田の話です。

「人間が思っている以上に、名前は重要です。

私は『神仏に対する認識が深まると、神仏の加護が増す』ということを実感しています。

『わが神の名を知ることは、人生の秘儀である』という言葉があります。

 

私が神伺い特別神事を行っているのは、

自分の産土の守護曼荼羅のご存在たちのお名前を知ることは神仏の加護度が上がるのにとても有効だからです。

 

また、開名が人生の開運に有効なのも同様です。

開運する名前を日頃使いますと、自分の人生運も上がり、神仏の加護もアップします。

開運人生はまず名前からですね」

 

 

武蔵国総社・大国魂神社(東京都府中市)。本殿裏手のご神木
武蔵国総社・大国魂神社(東京都府中市)。本殿裏手のご神木